2度結婚し、2度とも浮気が原因で離婚された、若山富三郎(わかやま とみさぶろう)さんですが、若山さんの付き人をしていた、若山さんの長男・若山騎一郎さんによると、実際、若山さんの個人事務所「若山企画」は”大奥(ハーレム)”状態だったようです。

「若山富三郎は息子の若山騎一郎を付き人にしていた!」

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女性には優しかった

若山さんの付き人として、付かず離れず若山さんと過ごした、長男の若山騎一郎さんによると、

父は100万か200万円するミンクのコートを着ていたとき、ある女優さんに“ステキ!”と誉められたら、“ありがとう。着て帰りなさい”と言ってあげちゃう。

それで新しいのを買うので、お金がなくなりますよね。でも、女性には本当にやさしかった。

と、若山さんは、特に女性にはきっぷが良くやさしかったそうで、

弟・勝新太郎さんの妻である中村玉緒さんも、

一度、お義兄さん(若山さん)が私に服を買ってやろうということになったんです。帝国ホテルのアーケードのお店に行きました。

そこで、1時間くらいゆっくり品物を見定めて「これはダメだ」「あれもダメだ」と丁寧に見立ててくれたんです。主人(勝さん)だったら即座に「これを着なさい」ですよ。

と、若山さんのきめ細かい対応に感激されたそうです。

若山企画は大奥(ハーレム)状態だった

ただ、中村さんは、

主人(勝さん)はよく、“お兄ちゃんはいいなあ”と言っていました。それは“なにしろお兄ちゃんは、右腕、左腕、右脚、左脚と、それぞれ別の女の人にマッサージしてもらえるからなぁ”って。

私は主人との結婚の条件に“絶対に女の人のお弟子さんはとらない”ことを約束してもらい、その言葉通りに勝プロは男所帯だったんです。だから主人はお義兄さんが羨ましかったんでしょうね。

とも、語っており、

実際、騎一郎さんによると、若山さんの「若山企画」は、30代後半の東洋美女の女性社長をはじめ、20代~50代の弟子やお手伝いさんが5~6人全員女性だったそうで、

しばらくすると彼女達の関係性が浮かびあがってきて、どうやら、そのほとんどが「お手つき」であることがわかってきました。以前、関係があったり、関係が続行している人もいたり。

それは、まさに大奥ですよ。親父は突然、スタッフの一人と私の目の前でキスをするなんてこともありました。こちらはぎょっとしますが、そんなのお構い無しです。お手伝いさんのなかには、“あたしは知ってるんだけど、先生のおチンチンはねえ……”なんて、いきなり話しだす人もいました。

ここにはいろんな派閥があるんですよ。たとえば時々、お手伝いさんが、私に対する社長の対応について“あんなの、気にしないでいいのよ”なんて言う。

はじめは私の味方として、よかれと思って言ってるのかと思ったんですが、あれは女性同士の暗闘でしかなかった。おそらく息子である私を派閥に懐柔しようとしてたんじゃないでしょうか。

それぞれがいろいろ悪口を言っていましたが、標的にされやすかったのは、社長ですね。彼女はお金を握ってますから、やっぱり風当たりは強い。そんな女性達が毎晩揃って夕食をとるんです。

と、若山さんは、本当に、勝さんが羨んでいた「大奥」のようなハーレムを作っていたようです。

ちなみに、騎一郎さんは、夜8時頃にお父さんの自宅兼事務所を出て、自宅に帰っていたそうですが、どういうわけか、女性たちはみな、(帰る自宅があるにもかかわらず)いつまでも残っていたそうで、家に帰るまで一体何をやっていたのかは、今も謎のままなのだそうです。

息子の若山騎一郎に女性関係の尻拭いをさせていた

そんな、女性たちがしのぎを削る「若山企画」の中で、騎一郎さんはというと、誰かに肩入れすると事務所の人間関係がめちゃくちゃになってしまう恐れから、どの派閥にも所属しなかったそうですが、この中立の立場に立ち続けることが本当に大変だったそうで、

時には、

“私、お風呂出たあとの先生の体を拭いているんだけど、そのときわかるのよね、今日(肉体関係が)あるか、ないか”なんて言ってくる人もいました。それを聞いて私は”オヤジ、体を拭かせてるのか!なんでそんなことを息子に言うんだ!”とか思いましたね。

当然、女性同士の嫉妬とかいざこざがあって、それも私が仲裁して、父の尻拭いをしているようなものでした。普通は親が子供の尻拭いをするんでしょうに。

と、若山さんの恋愛のいざこざについて聞かされたあげく、その尻拭いまでしたこともあったそうです。

また、若山さんには、ミスをするたびに殴られたそうで、やがて、そんな状態に嫌気が差し、叔父さんである勝新太郎さんの「勝プロダクション」に移りたくて、勝さんに相談したこともあったのだそうです。

(「勝プロダクション」は男所帯だったため、ドロドロした人間関係はないだろうと思ってのことだったそうです)

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アメとムチを使い分けていた?

ただ、仕事では厳しかった若山さんも、ふとした時、

(騎一郎さんは、お父さんのことを普段は「先生」と呼んでいたのですが)今日はお父さんでいいよ。お父さんとご飯食べに行こう。

と、父親の顔に変わって、とても優しくなることもあり、殴られたりして蓄積していた憎悪もパーッと消えていったそうで、

この様な、アメとムチを使い分けるメリハリの効いた対応が、若山さんが人々の心をつかんでいた秘訣だったのかもしれません。

「若山富三郎の死因は急性心不全!勝新太郎と麻雀中に死去?」に続く

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