東京大学では、両親の望む医学部ではなく、かねてから希望していた大学院に進学し、アメーバーや生物の研究に没頭するも、文学への思いが捨てきれず、大学院の研究室も家も飛び出したという、ムツゴロウこと畑正憲(はた まさのり)さんは、その後、山谷に居つき、ギャンブルに明け暮れたそうですが、やがて、そこで知り合った夜の仕事をしている女性に説得されると、「学研」に就職したといいます。

「ムツゴロウ(畑正憲)は東大に受験勉強せず現役合格していた!」からの続き

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山谷に住みつきギャンブルに明け暮れていた

文学への思いが捨てられず、東大大学院研究室も家も飛び出したというムツゴロウさんは、ちょうどその頃、学生結婚した奥さんが妊娠していることが判明したそうですが、就職もせず、糸が切れた凧(たこ)のようにフラフラとし、気がつくと山谷に居ついていたそうで、

(※山谷は、大阪の釜ヶ崎、横浜の寿町と並ぶ日本三大ドヤ街のひとつで、僅か約1.65平方キロメートル程度に簡易宿泊所が密集した地域)

ムツゴロウさんは、山谷の宿の中では高級な宿(今でいうラブホテルのような宿で一泊450円だったそうです)に宿泊していたことから、そこに泊まるお金を稼ぐため、ギャンブルに精を出したのだそうです。

(山谷では30円でどんぶり一杯食べられたことから、ご飯代はかからなかったそうですが、そのどんぶりは、いろいろな食堂で出た捨てるような食べ残しの余り物を適当に放り込んで混ぜただけのものだったそうで、温度も味も形状もどんぶりの中で混沌とし、バラバラに混ざっていたそうです(笑))

夜の仕事をしていた女性に説得され就職することに

ただ、やがては、宿屋に出入りしていた夜の仕事をしている女性と知り合い、その女性から、

あなたは本来こんなところにいる人間じゃない。いますぐ離れないと本当にダメになるよ

と、とことんお説教されたそうで、

ムツゴロウさんは、

そうか・・・

と、うなだれながら家に帰り、就職することにしたのだそうです。

妊娠中の妻に出産費用としてギャンブルで稼いだ2万円を送っていた

ちなみに、ムツゴロウさんは、山谷にいる間、妊娠中の奥さんを医者であるお父さんに預けっぱなしにしていたそうですが、出産にはお金が必要だったことから、ちょうど、子供が産まれるタイミングで、山谷から2万円送ったそうですが、

(ギャンブルで稼いだお金だったそうです)

奥さんからは、後に、

あのときの2万円は本当に助かった。あれがあったから、いろんな人に頭を下げないで済んだ

と、とても感謝されたそうで、

ムツゴロウさんは、この時初めて、奥さんにも切ない思いがあったのだということを理解したのだそうです(笑)

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学研の社長に直接手紙を書いて就職していた

さておき、その後、ムツゴロウさんは、「学習研究社(学研)」に就職しているのですが、仕事を探そうと夕刊を見ていると、「学研」が社員を募集しているのを見つけたそうで、学研映画が文部大臣賞を受賞していたことから、「ここしかない!」と応募したそうです。

ただ、「学研」の募集はすでに終わっていたそうで、ムツゴロウさんは、「学研」の創業者で社長(当時)の古岡秀人氏に、

今、私は山谷にいます。だけど御社に務めることができたら、この学識は必ず役に立つはずです

と、手紙を出すと、すぐに、速達で「今すぐ来い」という返事を受け取ったそうで、こうして、ムツゴロウさんは、「学研」で働くことになったのだそうです。

「ムツゴロウ(畑正憲)の「学研」時代は帰宅しないほど仕事に夢中だった!」に続く

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