数多くのテレビドラマや舞台に出演される一方で、1975年からは、奥さんの宮崎恭子さんとともに、俳優志望の若者を指導するべく、「無名塾」を主宰されている、仲代達矢(なかだい たつや)さん。今回は、そんな仲代さんと宮崎さんの馴れ初めほか、仲代さんの宮崎さんに対する深い想いについてご紹介します。

「仲代達矢のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」からの続き

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妻・宮崎恭子との馴れ初めは?

仲代さんは、1957年、「俳優座養成所」の先輩女優だった、宮崎恭子(みやざき やすこ)さんと結婚されています。

お二人は、1955年、舞台「森は生きている」での共演がきっかけで交際され、その後、結婚されているのですが、

結婚後、宮崎さんは、仲代さんの俳優としての才能をサポートするために、女優業を引退。

1965年頃からは、脚本家に転身し、「隆巴(りゅう ともえ)」のペンネームで、テレビドラマでは、「釣忍」、映画では、「姿三四郎」「いのちぼうにふろう」などを執筆されています。


宮崎恭子さんと仲代さん。

妻・宮崎恭子と「無名塾」を設立

そんなお二人は、1975年には、自宅の稽古場に集う若い俳優たちに演出の稽古のつもりで指導していたのをきっかけに、「無名塾」を設立。

奥さんの宮崎さんが中心となって、「無名塾」の運営・脚本・演出をされ、仲代さんは俳優として舞台に出演されると、

1977年からは、若い俳優を育てたいという思いから、公募もスタートされ、本格的に舞台づくりに取り組まれます。


宮崎恭子さんと仲代さん。

妻・宮崎恭子が他界

以来、20年近く、「無名塾」を運営されてきた、仲代さん宮崎さん夫妻ですが、1995年夏、「無名塾」の全国公演中、宮崎さんが体調不良を訴え、病院で検査をしたところ、「膵臓ガン」であることが判明。

宮崎さんは、その2ヶ月後には手術を受け、手術自体は成功するのですが、後に膵臓からの転移が判明し、「余命半年」と医師から仲代さんに伝えられます。

それでも、仲代さんは、宮崎さんには余命のことは伏せられていたそうですが、宮崎さんは、自身の死を覚悟されたのか、結婚記念日に、

おいしい人生を有り難う

と、書いた色紙を仲代さんに手渡されたそうで、

その2ヶ月後の1996年6月、静かに息を引き取られたのでした。

深い喪失感

その後、宮崎さんの遺書が発見され、

あなたは強い人です。これを言えるのは私しかいないから言います。強いからこそ一流なのですが、孤独になります。

という言葉があったそうですが、

仲代さんは、

僕に強さがあったとしたら、宮崎恭子という相棒がいたからです。彼女が亡くなり、手足をもがれたような喪失感のなかで切実にそう思いました。後追い自殺すら考えました。

と、深い喪失感に苛(さいな)まれたといいます。

南半球の島を1年間回る仕事で決意

そんな中、仲代さんには、ニューギニア島など南半球の島を1年がかりで回るテレビドキュメンタリーの仕事のオファーが舞い込んだそうで、周囲は反対したそうですが、

仲代さんは、

恭子のいない日本から逃げ出したい気持ちでした。

と、独断で引受けられます。

そして、当初は、撮影中、小さなカヌーが荒波にもまれると、

(泳げない仲代さんは)これで死ねるな

と、思ったりもしたそうですが、

旅も終わりに差し掛かった頃には、

大自然のなかで人間なんて小さい。ぶっ倒れるまでやろう

と、思うようになったそうで、

奥さんと立ち上げた「無名塾」の公演も、演出家を招いたり、仲代さん自身が演出と俳優を兼任されたりして、現在もなお続けられています。

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妻を亡くした市川海老蔵にエール

そんな仲代さんは、2017年6月27日、ツイッターで、

私事で恐縮ですが今日は女房の命日です

(亡くなってから)21年も経つのに未だに彼女に支えられて生きて居ります。一体どれだけ先の事まで考えて逝ったのかと、感謝に加え年々お疲れさんという気持ちになって居ります

でもこう言う共存の仕方もある。海老蔵さんにも頑張ってもらいたいなと不意に思いました。陰ながら

と、同年6月22日に妻・小林麻央さんをガンで亡くした、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんに、メッセージを送られているのですが、

このツイートを読んだユーザーからは、

涙がでました

気持ちが穏やかになりました

側にいなくても、ずっと支えられるというのは素敵なことですね

文章読んでるだけで、涙出そうです

とても温かくて素敵なメッセージだと感じました

など、多くの声が寄せられたそうで、仲代さんのこのツイートには、投稿から約11時間で1万4000件以上の「いいね」がつけられたとのことでした。

「仲代達矢の娘は姪の仲代奈緒?養女が2人?息子は?」に続く

仲代さんと宮崎恭子さん(1994年、世田谷の自宅に新しく完成した稽古場「仲代劇堂」の前で)

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