1996年、公私共に心の支えだった妻の宮崎恭子さんに先立たれ、一時は深い喪失感から、後追い自殺すら考えたという、仲代達矢(なかだい たつや)さん。今回は、そんな仲代さんのお子さんについてご紹介します。

息子は?娘は?
強い絆で結ばれていた仲代さんと宮崎恭子さんですが、お二人の間にはお子さんはいらっしゃいません。
(1962年に宮崎さんが死産されており、その影響かお子さんに恵まれなかったそうです)
ただ、宮崎さんの妹で、フジテレビアナウンサーをされていた、宮崎総子さんの娘・奈緒さんを養女に迎えられています。

奈緒さんと仲代さん。
ちなみに、仲代さんは、奈緒さんを幼い時から溺愛されていたそうで、1996年には、NHK大河ドラマ「秀吉」で、父娘共演を果たされています。

「秀吉」より。奈緒さんと仲代さん。
また、仲代さんを「息子」で多くの方が調べられていますが、仲代さんに息子さんはいらっしゃいません。
もう一人の養女は?
そんな仲代さんに、もう一人養女がいると、2019年5月、「週刊女性」が報じています。
「週刊女性」によると、
実は、私は仲代さんの養子に入りました。理由は、仲代さんの“終活”にあたり、この“ポジション”を守る者が必要だからです。
何かのタイミングで、マスコミに取りざたされる可能性も覚悟していますが、なるべく多くの方に周知してもらうために、報告しています。
仲代さんのお人柄と、輝かしい役者人生に傷がつかないことを願い、賛否両論をいただきながら、私なりに仲代さんに最善をつくし、誠心誠意、全身全霊をつくして、自分の役割を果たしていく所存です。
と、近しい人に触れ回っている女性がいるというのです。
養女本人が養子縁組の事実を認める
そして、「週刊女性」の記者が、真相を聞くべく、仲代さんの「無名塾」に電話で取材すると、電話口に出たYさんという女性が、自分が養女になった本人であると認めたそうです。
ただ、養子縁組をした経緯や奈緒さんとの関係などは、仲代さんでないと答えられないとのことで、記者が仲代さんに取材を申し込んだそうですが、一向に折り返しの連絡はなく、Yさんとも電話がつながらなくなってしまったとのことでした。
直撃取材
そこで、記者が、2019年5月中旬、高級車に乗って帰宅した仲代さんを直撃し、車の運転をしていたYさんに、あらためて、養子になった理由を聞いたところ、
Yさんは、
個人的なことなので、お話しすることはありません
とだけ、答えられたそうですが、仲代さんは、記者の質問に驚いた表情をしていたそうで、記者が、
なぜ奈緒さんがいるのにYを新たに養子にしたのか
と、尋ねると、
奈緒も了承したうえで、彼女を養子にしたのだから、問題ない。わだかまりもない。彼女は10年も……
と、話し始めたのですが、
仲代さんがしゃべっている最中に、
いろいろ言わなくて大丈夫です!
と、Yさんが遮られたそうです。
そして、記者が、Yさんが近しい人に語っていたという「仲代を守るため」とは、いったいどういういことなのか尋ねると、
仲代さんは、
それ、どこから聞いたの?
と、逆に記者に聞いてきたそうで、
どうやら、Yさんは、「週刊女性」が養子縁組について問い合わせしてきたことを、仲代さんに話していなかったようで、この時初めてその事実を知ったらしき仲代さんは、次第に興奮してきたそうです。
それでも、記者が、なぜYさんを養子にしたことを隠していたかと仲代さんに問うと、
お二人同時に、
個人的な問題です!
と、言ったそうで、
その後、仲代さんは、
個人的に養子にしたことを、みんなに知らせる必要はない。そういうことです!
と、言いつつ、養子縁組を口外していたYさんを叱りつけ、
さらに、
奈緒も血のつながりはない。妹の子だからね。妻が亡くなってからずっとマネージャーとして10年やってきたから、養子としたわけです。男女関係みたいなことを書いたら訴えますよ!
と、記者がまだ聞いてもいない男女関係について、きっぱりと否定。
また、再び、Yさんが、
養子になったのは、地方の病院へ行くときに身内のほうが便利だとか、身辺の整理も家族でないとできないことがありますよね。そういったことがいろいろ重なって……
と、言うと、
仲代さんは怒り収まらず、
アンタがそんなことを他人にしゃべらなければよかったんだ! アンタの友達の誰が漏らしているのか、徹底的に調べてやる
と、言い残し、自宅の中へ入って行かれたのだそうです。
養女2人で財産を相続?
その後、記者が、残ったYさんに、再び仲代さんの養子になった理由について確認すると、
Yさんは、
奈緒さんは今、大阪に住んでいるから、距離的にいろいろなことができないんです。奈緒さんが結婚する予定があるだとか、どう思っているだとかは、私は知りません。
と、答えられ、
法的には養子同士の姉妹になることから、仲代さんの財産を相続することになるのか聞かれると、
それについては仲代が整理しています。この建物をどうするかだとか
と、答えられたそうです。
また、Yさんは、仲代さんによる遺言書の存在も認めたそうで、記者は、遺産整理のための養子縁組であると考えたようですが、
Yさんは、相続権利については、
まったく考えていません
と、否定。
そして、最後に記者が、Yさんが言っていた「仲代を守る」という意味について、もう一度尋ねたところ、
Yさんは、
家族でないと、できない問題ってあるんです。うまくは言えませんが。私は命じられたことをやっているだけ。守りたいというのは、仲代さん自身をです。
人から守りたいのではない。尊厳を守るためです。これ以上は他言しないように言われていますので……
と言い、仲代さんが入って行った家の中に入っていかれたとのことでした。
養子縁組しなければできないこととは?
ちなみに、養子縁組しなければできないことについては、「週刊女性」で、「弁護士法人・響」の坂口香澄弁護士が、
入院の手続きに関しては、必ずしも子どもである必要はありません
治療をする中で、リスクの高い手術や延命治療をするかなど命に関わる決定は本来、本人にしか決められません。本人が決定できない場合の決定方法についての法律は未整備です。
臨床では家族に決定を委ねているので、仲代さんが希望する治療を病院にしてもらうという意味では、そばに家族がいることは仲代さんのためにもなると思いますし、養子縁組に意味はあると思います。
ただし、子どもでなければならないと法律で決まっているわけではありません。一般的な法律行為についても、家族でなければということはないですね
と、回答していたそうで、
記事は、
仲代は、わだかまりのない円満な“終活”を描いているのだろう。
と、締めくくられていました。
(記者は、もう1人の養女である奈緒さんに話を聞こうとしたそうですが、あいにく海外滞在中で、本人と連絡をとることができなかったそうです)
さて、いかがでしたでしょうか。
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について、ご紹介しました。
2025年には、92歳にして、5月30日から6月22日までの22日間に渡って、自身が名誉館長を務める石川県七尾市の劇場「能登演劇堂」で、能登半島地震復興記念公演を演じきり、同年11月8日に亡くなる少し前まで、俳優活動をしていた仲代達矢さん。
そんな仲代達矢さんの俳優業への強い想いは、数々の出演作品や「無名塾」で末永く語り継がれることでしょう。
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