宮崎総子の死因は?娘は仲代奈緒!姉は宮崎恭子!アナウンサーだった!

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1966年にフジテレビ入社後、抜群の英語力でアナウンサーとして活躍し、1971年にはフリーとなり、TBS朝のワイドショー「モーニングジャンボ奥さま8時半です」で司会を務められた、宮崎総子(みやざき ふさこ)さん。一方、「無名塾」では、亡きお姉さんの宮崎恭子さんの意志を継ぎ、朗読劇にも参加されています。




プロフィール!


宮崎さんは、1944年1月2日生まれ、
福岡県福岡市のご出身です。

身長150センチ、

出身大学は、
立教大学文学部英米文学科、

趣味は、
日本画(花がテーマ)、陶芸、料理、

お姉さんには、
演出家で脚本家の宮崎恭子(みやざき やすこ)さん、

義兄(お姉さんのご主人)には、
俳優の仲代達矢(なかだい たつや)さん、

娘(養女)には、
歌手で女優の仲代奈緒(なかだい なお)さん、

がいらっしゃいます。


東京から広島に疎開


宮崎さんは、1944年、
裁判官だったお父さんの赴任先の、
福岡県福岡市で生まれると、

同年、お父さんが裁判官を辞め、弁護士になったため、
東京に移られるのですが、

1945年には、広島県呉市の、
伯父さんの家に疎開されています。

ちなみに、宮崎さんは、当時はまだ赤ちゃんですが、
お姉さんの宮崎恭子さんは原爆を見たそうで、

後に、恭子さんから、
きのこ雲の話をよく聞かされたそうです。


英語劇の主演で活躍~フジテレビアナウンサー


そして、宮崎さんは、1945年暮れ、
お母さんとお姉さんとともに東京へ戻られると、
その後、立教女学院高等学校から立教大学文学部英米文学科に進学。

宮崎さんは、英語劇の女優として活躍され、
立教・慶應・早稲田・一橋大学の4大学英語劇コンテストでは、
主演演技賞を受賞されたこともあったのだとか。

また、英語劇で鍛えた抜群の英語力を活かし、
大学卒業後は客室乗務員になりたかったそうですが、
身長が150センチと小柄だったため断念。

それで、お姉さんに進路を相談すると、

「フジテレビって上品な局よ」

と、アナウンサーになることを勧められ、
フジテレビを受験。

面接で、そのことを話すと、
面接官は大笑いしたそうで、

それが良かったのか、宮崎さんは見事合格され、
大学卒業後の1966年、フジテレビに入社されています。

フリーに転身


そして、1969年、
アポロ11号が月面着陸した際には、

外国人参加の特別番組の総合司会を担当し、
見事な英語力で番組を取り仕切られています。

しかし、当時、フジテレビは、

「女の幸せは結婚である」

との考えから、
25歳までしか仕事をすることができず、

1971年にTBSが新たに始める、
ワイドショーのアシスタントを募集しているのを知ると、

フジテレビの職員のままオーディションを受け、
見事オーディションに合格されています。

「モーニングジャンボ奥さま8時半です」で人気司会者に


その後、朝のワイドショー番組「モーニングジャンボ奥さま8時半です」
のアシスタントとなられた宮崎さんは、朝にふさわしい、
ハツラツとしたキャラクターで人気者になり、

(この番組は13年続くのですが、
 宮崎さんはその間、ずっと出演されています。)

その後も、
1985年~1986年「モーニングアップル」
1993年~1996年「スーパーワイド」
の司会を担当されるなど、

様々なテレビ番組で、
司会やレポーターを務められています。


「モーニングジャンボ奥さま8時半です」より。
(左から)宮崎さん、鈴木治彦さん、藤田和弘さん。



「無名塾」のプロデューサーとして


その後、宮崎さんは、1996年に、
お姉さんの恭子さんが亡くなると、
しばらくはご自分の仕事を離れ、

恭子さんとその夫の仲代達矢さんが主宰する、
「無名塾」を手伝い、プロデューサーとして、

「セールスマンの死」(アーサーミラー作)
「森は生きている」(マルシャーク作)

などの演劇を制作。

また、恭子さんが始められた朗読劇も、
引き継いで出演されたほか、

企業向けに、プレゼンテーションでの声の出し方をはじめとする、
話し方の指導をされるなど、様々な分野で才能を発揮されています。


死因は?


こうして、マルチな才能を発揮していた宮崎さんですが、
2005年、人間ドックで、心臓の一部に壊死が発覚します。

ただ、その後も、普通の生活を送られ、
2014年春には、心疾患の影響とみられる、
体調不良のため、半年間入院されるのですが、

退院後は元気なご様子で、お姉さんである、
宮崎恭子さんの著書「大切な人」の、
同名朗読劇に精力的に出演、(娘の奈緒さんと共演)

12月7日には、1日2回公演もこなされ、
片付けも手伝い、午前2時頃まで続いた打ち上げにも、
参加されたのでした。

しかし、ハードなスケジュールが続いたため、念のためにと、
翌日の8日、病院で検査を受けられたところ、病状の悪化を指摘され、
医師から朗読劇への参加を止められてしまいます。

その後、宮崎さんは、急激に気力が衰え、
同年2月18日に再入院されると、

2月24日、「特発性拡張型心筋症」のため、
帰らぬ人となってしまったのでした。


結婚は?


そんな宮崎さんは、1973年、元フジテレビアナウンサーの、
山川 建夫(やまかわ ゆきお)さんと結婚、

同年、女の子を出産されているのですが、
1978年には離婚されています。


山川建夫さん


娘は仲代奈緒


そして、その女の子というのが、
仲代奈緒さんなのですが、

宮崎さんは、娘の奈緒さんが4歳の時、
子どもに恵まれなかった姉夫婦(宮崎恭子さん・仲代達矢さん)
のところへ養女に出されています。

当時は、子どもはまだ作れる、
との思いからだったそうですが、

宮崎さんは、その後も出産することなく離婚し、
離婚後も再婚することなく、結局、
子どもを生むことはなかったのでした。

ただ、宮崎さんは、実際には、
奈緒さんと一緒に暮らされていたそうで、
毎朝、保育園に預け、テレビ局に通われていたのだとか。

また、近年は、大阪で一緒に生活をされていたそうなので、
実生活では、普通の母娘だったのかもしれませんね。

さて、いかがでしたでしょうか?

英語が堪能なアナウンサーとして、
華々しいキャリアを重ね、

フリーに転身後は、朝の顔として、
主婦層から絶大な支持を得た宮崎さんですが、

お姉さんの他界後は、「無名塾」で、
朗読劇への出演や、プロデュースほか、
切符売などの地道なお仕事も担われていたそうで、

義兄の仲代さんをがっかりさせないために、
ひとつの空席も作らないように売りさばくのに、
苦労したというエピソードも。

宮崎さんが、いかに、「無名塾」に、
情熱を注いでおられたかが分かりますね。

「無名塾」は、姉や娘との絆を感じられる、
そんな場所だったのかもしれません。

宮崎さんの想いが詰まった無名塾の公演、
これを機会に一度ご覧になってみてはいかがでしょうか♪



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