半分投げやりで受けた「岩波映画製作所」の入社試験に合格し、「岩波映画製作所」に入社したという、田原総一朗(たはら そういちろう)さんですが、いざ、配属された撮影部で撮影助手として働き始めると、失敗の連続だったといいます。

「田原総一朗は「岩波映画製作所」の面接で昼食を要求していた!」からの続き

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「岩波映画製作所」では撮影部に配属されるも失敗の連続だった

田原さんは、「岩波映画製作所」入社後は、撮影部に配属され、大阪府堺市の建設現場で、工場建設の過程を記録するPR映画の撮影(カメラ)助手して働き始めたそうですが、

(海の埋め立て工事から始まり、新鋭工場が完成するまでを数年に渡って撮影するという、長丁場のロケで、カメラマン、助監督、進行、照明、撮影助手が一つのチームを組み、カメラマンが監督を兼ねて撮影を取り仕切ったそうで、撮影助手は2人いて、新米の田原さんは、第2撮影助手だったそうです)

実は、田原さんは、面接の際、「君は撮影をやるか」と聞かれ、「撮影」とはロケーションのことだと思って、「もちろん、やります」と答えていたそうで、機械の操作はまったくダメだったことから、入社後、撮影部に配属されて、カメラ助手になると、失敗の連続だったそうです。

高価なカメラを落としそうになったことも

例えば、カメラのセッティングは、通常、三脚を立てて台の上にカメラを載せてネジを締めて固定し、撮影が始まると、カメラを自由に取り外せるように、カメラを固定していたネジを緩めておくことになっていたそうですが、

撮影場所を移動する際、うっかり、カメラのネジを緩めていたことを忘れていた田原さんは、三脚ごと担ぎ、危うく、カメラを落としそうになったこともあったそうです。

(チーフの助手がとっさにカメラを抱えてくれたため、大事には至らなかったそうですが、本当に冷や汗が出たそうです)

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フィルムがきちんと装塡できておらずめちゃくちゃにしたことも

また、フィルムを入れ替えたはずが、ちゃんと装塡できていなかったこともあったそうで、カメラマンが撮影を始めた途端、カメラが止まり、中のフィルムがめちゃくちゃに絡まってしまったこともあったほか、

朝、出かける時、(カメラはバッテリーがないと動かないにもかかわらず)カメラのバッテリーを持っていくのを忘れたり、カメラとバッテリーをつなぐコードを撮影の途中で失くしたり、

レンズのホコリを拭い取ろうとして、ウエス(布)が汚れていることに気付かず、レンズを拭いて、逆に汚したりと、失敗の連続だったそうで、

田原さんは、もともと、不器用なことは自分でも分かっていたそうですが、この時は本当にダメだと思ったそうです。

「田原総一朗は「岩波映画製作所」で撮影助手を降ろされていた!」に続く

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