1966年、8歳の時、「渥美清の泣いてたまるか」で子役デビューされると、1982年、24歳の時には、戦隊シリーズ「ゴーグルファイブ」で「ゴーグルイエロー」を演じ、たちまち、子どもたちのヒーローとなった、伍代参平(ごだい さんぺい)さん。そんな伍代さんの、子役時代から現在まで調べてみました。
年齢は?出身は?身長は?本名は?
伍代さんは、1958年8月29日生まれ、
愛媛県八幡浜市のご出身、
身長170センチ、
血液型はB型、
学歴は、
堀越高等学校卒業、
趣味は、
帽子収集、料理、
特技は、
柔道(初段)、
ちなみに、本名・旧芸名は、
藤江喜幸 (ふじえ よしゆき)です。
昔は名子役だった
伍代さんは、5歳の時、児童劇団に入ると、1966年、8歳の時には、「渥美清の泣いてたまるか」で子役デビュー。
このことがきっかけとなり、同年、特撮テレビドラマ「快獣ブースカ」のチョロ吉役に起用されると、
1968年には「コメットさん」、1969年には「柔道一直線」、1971年にはNHK朝の連続テレビ小説「繭子ひとり」など、話題作に次々と出演。
子役時代の伍代さん。
伍代さんは、後に、
当時はとにかく忙しかったですね。小学校の3分の2は休んだんじゃないかな。
と、おっしゃっているのですが、
1976年の「忍者キャプター」で共演された伴大介さんが、
芸達者で、演技の資質が良いと思った
と、伍代さんのことを振り返っておられることから、伍代さんが引っ張りだこだった理由が分かりますね。
「忍者キャプター」に出演される、当時14歳の伍代さん(右端)
若い頃は「ゴーグルファイブ」で「ゴーグルイエロー」
そして、その後、伍代さんは、順調に俳優としてのキャリアを積まれ、1982年、24歳の時には、戦隊シリーズ「大戦隊ゴーグルファイブ」で、「ゴーグルイエロー/黄島太」役に起用されると、そのコミカルな演技で、たちまち、子どもたちの人気を集めたのでした。
プロデューサーの鈴木武幸さんは、
メンバーの中に「秘密戦隊ゴレンジャー」のキレンジャーのような三枚目タイプを入れてみようと思ったから
と、伍代さんを起用した理由を明かされています。
「大戦隊ゴーグルファイブ」より。
現在はお好み焼き屋
そんな伍代さんは、俳優活動のかたわら、1986年には「美味しんぼ倶楽部」のリポーター、1989年には「スーパーカラオケ」で司会を務められるなど、幅広く活動されていたのですが、いつ頃からか、テレビから姿を消してしまいます。
そこで、2006年、「ゲンダイネット」が「あの人は今こうしている」の企画で、伍代さんを取材したところ、
伍代さんは、2003年頃、テレビ神奈川でのリポーターの仕事を最後に、ぱったりと仕事がなくなってしまい、仕方なく、渋谷でペンキ屋をやっていたところ、ヘルニアを患ってしまったそうで、
良い医者がいるからと、友人の紹介で関西に治療に行かれると、ヘルニアの方は治ったそうですが、東京に戻っても仕事がない状態だったため、そのまま関西に住むことにされたとのこと。
そして、関西では、最初は、兵庫県芦屋で中華料理店、次に、三宮で割烹居酒屋を営業され、
その後、2006年には姫路市に移り、お好み焼き店「三八広島焼き 姫路ノ本店」を開店。現在も、せっせとお好み焼きを焼いておられるのだそうです。
「三八広島焼き 姫路ノ本店」
(このお好み焼き、ネット上ではとてもおいしいと評判です♪)
ただ、決して芸能界復帰をあきらめたわけではなく、いつ仕事が来てもいいように、東京のプロダクションに籍は置いてあるとのことでした。(残念ながら、その後も、芸能界に復帰されたとの情報はありません)
さて、いかがでしたでしょうか。
芸能界復帰の情報はないものの、2018年には、歴代の戦隊が集う「還暦祭」に、「ゴーグルイエロー」の衣装で参加し、元気なお姿を見せていた伍代さん。
Youtubeなどの影響で、世界中で日本の戦隊ものが人気を集めている昨今、伍代さんも、往年のヒーローとしてもっと活躍できれば良いのですが・・・
とにかく、応援しています!!
「還暦祭」より。(左から)伍代さん、石井茂樹さん、春田純一さん。