コミックバンド「ハナ肇とクレージー・キャッツ」で大ブレイクされると、その後は、ピンでも、コメディアン、俳優として活躍された、ハナ肇(はな はじめ)さん。そんなハナさんのご家族のことや晩年について調べてみました。

「ハナ肇のゲバゲバでのギャグは?銅像コント?出演ドラマ映画は?」からの続き

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妻は?子どもは?

ハナさんは、日活のスター女優だった島村葉子さんと結婚されています。

お二人の馴れ初めなど詳しいことは分かりませんでしたが、モト冬樹さんが、ハナさんの奥さんについて、

ハナさんの奥様は、葉子さんといって、もと宝塚にいらっしゃった素敵な方です。葉子さんは、ハナさんが痩せてるタイプが好きなので、長い旅から帰って来る時など、きちんとダイエットして待っています。若い時ならいざ知らず、ずっとです。また、ハナさんに気がつかれないようにトイレに行きます。それもずっとです。

一度、娘さんと葉子さんが口喧嘩をして、葉子さんが泣いてしまいました。隣の部屋でそれを聞いていたハナさんが出てきて、いきなり、娘に「出ていけ!」と怒鳴ったのです。喧嘩の原因も何も聞かずに。ハナさんは、ただ、俺の葉子をよくも泣かしたな。それだけを怒っているのです。その話を、娘さんがうれしそうに語ってくれました。

やはり、素敵な女性と一緒になる相手は素敵な男性なんだな。若い時にそう思った記憶があります。

と、ブログに綴られていたことがあったので、夫婦仲はとても良かったようです。

お子さんは、このエピソードから、娘さんが一人いらっしゃることは分かっていますが、その他にもいらっしゃるのかは分かりませんでした。

音楽活動

ところで、もともとは、当然、音楽活動をするために結成された、「クレージー・キャッツ」ですが、どちらかというと、コメディアングループとして人気を博したことから、当初は、ピンとしてのハナさんも、人気コメディアンとして、テレビ番組に出演されていたのですが、

「クレージー・キャッツ」が、1971年4~9月に、「8時だョ!全員集合」のつなぎ企画として放送されていた、「8時だョ!出発進行」へのレギュラー出演を最後に、露出が激減してしまい(同年には、メンバーの石橋エータローさんが脱退)、グループとしては、事実上、解散状態になると、

ハナさんも、1980年代以降には、コメディアンとしてではなく、俳優としての活動がメインとなっていきます。

ただ、それでも、ハナさんは、1985年には、バンド「ハナ肇&オーバー・ザ・レインボー」を結成し、ドラムの修練に打ち込まれるなど、音楽への情熱は持ち続けられたそうです。

死因は肝臓がん~最期も笑顔でコント

しかし、そんなハナさんも、体調を崩して入退院を繰り返すようになり、

最後の入院の際には、弟子である、なべおさみさんや元「ザ・ピーナッツ」の2人が交代で看病に訪れるたびに、

いつも済まないねえ

おとっつぁん、それは言わない約束でしょ

と、笑顔で「シャボン玉ホリデー」時のコントのセリフを繰り返しておられたのですが、


お元気な頃のハナさん(中央)と「ザ・ピーナッツ」のお二人(両側)。

1993年9月10日、「肝臓がん」のため、63歳で永眠。

谷啓さんら「クレイジー・キャッツ」のメンバーに見守られながら、息を引き取られたのでした。(ハナさんには、自身が「ガン」だということは知らされていなかったそうです)


病室の「シャボン玉ホリデー」 ハナ肇と過ごした最期の29日間 (文庫ぎんが堂)

ちなみに、植木さんは、仕事先の北海道でハナさんの訃報を聞き、仕事を終えて都内に戻られると、真っ先にハナさんの元に駆けつけて、ハナさんの枕元で読経を捧げられたそうです。

そして、15日に行われた告別式では、弔文を持たずに遺影に向かって、大声で「ハナ!」と呼びかけると、涙をこらえきれず、しゃくりあげながら、

おれはさびしいよ。体の中から魂が抜けたようだ。お前が16でおれが19。たった47年間の付き合いだったが、クレージーの面々に思い出をありがとう。

と、ハナさんに語りかけられたのでした。

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名言

さて、いかがでしたでしょうか?

定年があるような人生はダメなの。定年のない人生てのは素晴らしいの。休んでられないんだもの。

との名言を遺し、そのとおり、亡くなる1ヶ月前までドラムの修練に励まれていたハナさんですが、今でも天国でドラムを叩いておられるのでしょうか。

ハナさんのご冥福をお祈りいたします。

「ハナ肇の若い頃は?植木等と?クレージーキャッツでドラムと映画!」

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