「オフコース」時代には、「さよなら」「Yes-No」「I LOVE YOU」「Yes-Yes-Yes」「君が、嘘を、ついた」、ソロとなってからも、「ラブ・ストーリーは突然に」「いつか どこかで」「キラキラ」「伝えたいことがあるんだ」など、数多くのヒットを飛ばしてきた、小田和正(おだ かずまさ)さんですが、1998年には、交通事故を起こし、九死に一生を得ていたといいます。

「小田和正のデビューからのディスコグラフィを画像で!」からの続き

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高速道路でスリップしガードロープに激突する大事故を起こしていた

小田さんは、1998年7月22日夜、ゴルフコンペ会場へ向かうため、東北自動車道下り車線(栃木~鹿沼インター間)を走行中、雨でスリップしてコントロールを失い、道路左側のガードロープに激突すると、衝撃で車は追い越し車線まで弾かれたそうで、

(速度規制80キロのところを、20キロオーバーの100キロ前後で走行していたそうです)

後部座席に飛ばされて、後部座席で横たわった形で救出され、一命は取り留めたそうですが、鎖骨と肋骨3本を骨折するほか、首の骨がずれ、神経を圧迫する、全治4週間の重症を負ったそうです。

奇跡的な回復を遂げていた

ちなみに、同乗者はおらず、後続車による追突や横転、反対車線への飛び出しがなかったことから、命拾いできたそうですが、

その後、小田さんは、奇跡的な回復で、それから約2週間後には退院すると、同年9月12日には、(完治ではないものの)福岡県にある「海の中道」で行われたスターダスト・レビューとのジョイントコンサートで、歌手活動に復帰しており、

小田さんは、

あの時は、たしかに九死に一生でした。よくまあ、助かったなと思うけど、あとになって、「ああ、あの時、たしかに死んじゃっててもおかしくないくらいの事故だったんだろうな」と思ったね。

「あの時、死んじゃってたら、あの曲も、この曲もつくってなかったということか」って、そんなふうに思ったりしましたね。

と、語っています。

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数多くのファンからの「生きていてくれてよかった」という手紙に感動していた

また、ファンからは、

ああ、生きていてくれてよかった、とにかく生きていてくれただけでよかった

という内容の手紙をたくさんもらったそうで

小田さんは、身内でもない人たちからこれほどまでに心配してもらえるのかと、とても驚き、感動したそうで、

その時、初めて、

ああ、こんなふうに思ってくれるんだから、喜んでもらわなきゃ

と、思うようになったのだそうです。

「小田和正がライブで客席まで降りるのは交通事故がきっかけだった!」に続く

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