女形の美しさが評判を呼び、一躍「梅沢劇団」のスターとなると、1982年には、シングル「夢芝居」が大ヒットし、歌手としても成功を収めた、梅沢富美男(うめざわ とみお)さんですが、人気絶頂の1984年、独身と公表していた梅沢さんに妻子がいることが明らかとなり、弁明の記者会見を開かれています。

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妻子がいることを隠していた

梅沢さんは、1976年、26歳の時、京子さん(20歳)という一般女性と結婚されると、1980年には、男の子・清章(きよあき)くんが誕生しているのですが、実は、奥さんと息子さんのことは、長らく隠されていました。

ただ、1984年1月、33歳の時、そのことが明らかとなったことから、同月11日、梅沢さんは、「梅沢劇団」の座長(当時)で兄の武生さんと実母の千子(ちね)さんとともに、東京・赤坂プリンスホテルで記者会見を開催。

兄・武生さんが、

こいつ(梅沢さん)は大衆演劇の中で咲いたチッポケな花。咲かない内につぼんでしまってはまずいと思ってしたんです。梅沢劇団には400本以上の芝居がある中で、今度のことが私の一番うまくできた芝居だと思っています。

昨年(1983年)夏、父親(清さん)が亡くなった。座長としての俺の後継者は富美男しかいない。でも芸も未熟だし、「発表は何ごとだ!」と隠してきた。

と、大衆演劇の座長らしい言い回しで、梅沢さんの妻子の存在を隠してきた理由を説明されたのでした。

また、兄・武生さんは、梅沢さんの妻の京子さんが息子の清章くんを連れて楽屋を訪れてくると、「何しに来た、帰れ!」と、ずっと追い返していたことも明かされたのですが、

母親の千子さんはというと、

他の孫たちは楽屋に顔を出すのに、富美男の子は顔が出せない。とても可哀そうだと思っていました。

と、コメントされたのでした。

妻は梅沢富美男のため身を引くことまで考えていた

ちなみに、後に、梅沢さんは、

僕がテレビに出るようになり、歌(1982年発売の「夢芝居」)もヒットして売れ出した昨年(1983年)7月頃に、女房が「私たちが苦痛にならない?手を引いてもいいのよ」と言い出したんです。

「冗談じゃない。このバカタレが!」と一蹴しましたけどね。

と、明かされており、妻の京子さんは、梅沢さんのお荷物にならないようにと、身を引くことまで考えていたようです。

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妻が梅沢富美男との7年間を綴った手記を発表

また、京子さんは、この記者会見を受け、それまでの7年間を綴った手記を発表されています。

その手記によると、京子さんは、池袋商業高校2年生の時、大衆演劇ファンだったお母さんに連れられて、十条の篠原演芸場に「梅沢劇団」のお芝居を観に行ったそうですが、この時、初めて梅沢さんを観たそうで、梅沢さんは、当時はまだ女形ではなく、三枚目役だったことから、第一印象は、「おかしい人だなぁ」だったそうです。

ところが、お芝居の幕間(まくあい)に舞踊ショーが行われると、京子さんは、鮮やかに踊る一人の役者に目を奪われたそうで、

隣の席のおばさんに、

あの人はさっきのお芝居で三枚目だった梅沢富美男よ

と、教えられ、この時、初めて「梅沢富美男」という名前を聞いたそうですが、その、あまりの変貌ぶりには、息をのむ思いだったとのことでした。

「梅沢富美男の隠し妻(元妻)との馴れ初めは?子供は?」に続く

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