吉村実子さんとの離婚成立後は、静岡県熱海市に移り住み、大好きな麻雀店を経営するなど、悠々自適な生活をされた、石立鉄男(いしだて てつお)さん。今回は、そんな石立さんの死因や最後の主演作品のエピソードなどをご紹介します。
「石立鉄男の嫁は芳村真理の妹吉村実子!21年別居後離婚!息子は?」からの続き
晩年は熱海で悠々自適な生活
石立さんは、1998年、21年別居状態だった吉村実子さんとの離婚がようやく成立すると、1999年頃からは静岡県熱海市に移り住み、自宅の近所で麻雀店を経営。
月に4~5回、仕事で上京する以外は、自宅と麻雀店を行き来する、悠々自適な生活を送られていたそうで、2004年頃には、写真週刊誌に「熱海で女性と同居している」と報じられ、話題となりました。
突然死
そんな石立さんですが、2007年6月1日、熱海市内の自宅で、同居している知人(50代の女性)が、なかなか石立さんが起きてこないことを心配して、午前11時頃、部屋をのぞくと、布団の中の石立さんの手が冷たく、息をしていないことに気づき、あわてて、119番通報。
石立さんは、救急車で病院に搬送されたのですが、病院で死亡が確認されたのでした。
(就寝中の午前1時頃、「急性動脈りゅう破裂」による突然死。享年64歳。)
ちなみに、石立さんは、この数日前の5月28日には、10月に出演予定の舞台の打ち合わせを行うために上京し、
この年だから、なんでもやるよ
と、久々の舞台出演を非常に楽しみにしておられたほか、
亡くなる前日も、深夜まで自身が経営する雀荘にいたそうで、弔問に訪れた知人は、
毎日元気だったのに信じられないね…
と、突然すぎる死に驚いていたそうです。
通夜・告別式
そして、6月2日、静岡県熱海市の成田山快長院でしめやかに通夜が営まれると、当初は近親者のみで執り行われる予定が、横内正さんなど「俳優座養成所」時代の先輩、同期などが列席。熱海の近所の人々も集まり、弔問客は100人にもなったそうです。
また、6月3日には、同所で、告別式が執り行われると、親交のあった、砂川啓介さん&大山のぶ代さん夫妻ほか90人が参列。
喪主は長男の大和さんが務められ、
ブラウン管を通して見る父は格好良くて人気者でした。わがままな一面もあったけど、自由気ままに生き、熱海の人に愛され、幸せだったと思います。
と語り、父親の死を悼まれたのでした。
ちなみに、同居している女性がいるということで、前妻の吉村さんの姿はありませんでした。(次男の隼人さんは列席)
また、石立さんは、離婚後は、息子さんたちに何度か会っていたそうですが、最後に会ったのは、2年前の2005年だったそうです。
最後の作品「Break out!」は熱海で
数々の作品で主演を務められた石立さんですが、最後の主演映画となった、2004年の映画「Break out!」でも、石立さんは、相変わらず遅刻の常習犯だったようで、東京で撮影がある時は、
新幹線が遅れた
と、苦しい言い訳をされていたそうです(笑)
そこで、秋原監督が、石立さんのお住いのある熱海で映画を撮れば遅れられないだろうと思い、熱海市でロケをすることになると、
石立さんは、時間帯によって変わる光の加減や一番いいアングル、きれいに撮れる場所と時間を熟知していたことから、ロケハン(ロケ地を探して歩く仕事)を一人でこなされたそうで、
石立さんの娘役を演じられた相田翔子さんは、
今までのあるゆる映像の中で、自分が常にきれいに撮られている作品
と、語っておられました。
ラブコメ「Break out!」でコミカルな演技を披露する石立さん。
石立さんが、どれほど熱海が好きだったか、また、女優がどこにどう立てば一番きれいに映るかということを熟知されていたことが伺えますね。
さて、いがでしたでしょうか。
石立さんの、
- 晩年は熱海で悠々自適な生活
- 突然死
- 通夜・告別式
- 最後の作品「Break out!」は熱海で
について、まとめてみました。
2007年5月13日、バラエティ番組「週刊えみぃSHOW」の「あこがれのあの人 数珠つなぎ」のコーナーに出演(石立さん最後の仕事)された際には、自身の人生を振り返り、
全盛期には5億から10億ぐらい稼いだのに、全部バクチで使い切った
と、豪快なエピソードを明かされるなど、好き放題に生きてこられた石立さんですが、
晩年も女性と同居し、熱海の多くの人に愛されるなど、幸せな時を過ごされたようで何よりですね。
石立さんのご冥福をお祈り致します。
「石立鉄男の生い立ちは?若い頃は文学座で演劇界のホープだった!」