当時の有名スターを主演にするという条件で、「ロッキー」の脚本に35万ドルという破格の値段がつけられるも、決して自分を安く売らず、あくまで自身が主演になることを条件に2万ドルで「ロッキー」の脚本を売った、シルベスター・スタローン(Sylvester Stallone)さん。実際、映画「ロッキー」が公開されると、世界的な大ヒットを記録し、スタローンさんは、一躍、トップスターの座に駆け上ります。
「シルベスター・スタローンの「ロッキー」はB級映画並の製作費だった!」からの続き
映画「ロッキー」が世界的な大ヒット
自身が主演となったことで、B級映画並みの制作費しか出ず、肉親などにスタッフやキャストになってもらい、衣装も借り物や自前で賄(まかな)うなど、苦労の末、スタローンさんは1976年に「ロッキー」を完成させると、映画の公開も、わずか数ヶ所だけだったそうですが、
徐々に口コミで評判となると、やがて、映画は世界的な大ヒットを記録し、同年には、「第49回アカデミー賞」で作品賞・監督賞・編集賞を受賞するほか、「第34回ゴールデングローブ賞」でドラマ作品賞を受賞し、スタローンさんは、たちまちトップスターの座に。
「ロッキー」より。
また、この映画は、その後も、
「ロッキー2」(1979年)
「ロッキー3」(1982年)
「ロッキー4」(1985年)
「ロッキー5/最後のドラマ」(1990年)
「ロッキー・ザ・ファイナル」(2006年)
と、シリーズ化され、スタローンさんは、トップスターの座を不動のものにされたのでした。
ちなみに、スタローンさんは、「アカデミー賞授賞式」の席で、「ロッキー」を売り込んだ際、各映画会社から送られてきた、脚本を却下したり、批判したりする手紙を読み上げたそうで、
後に、
Success is the best revenge.(成功が最高の復讐だ。)
との名言を残しています♪
「アカデミー賞授賞式」でのスタローンさん(中央)。
アメリカン・ドリーム実現に感謝のコメント
それから40年以上経った、2018年、スタローンさんは、自身のインスタグラムに、1976年に「ロッキー」が上演される映画館の前に立つ自身の写真をアップし、
たった60分後には、俺の世界はひっくり返って、元の世界には戻れなくなった。みんな、ありがとうな・・・
と、主人公のロッキー・バルボア同様のアメリカン・ドリームを実現できたことに、感謝のコメントを残されています。
「ロッキー」が上演される映画館前に立つ当時のスタローンさん。
「ロッキー」の愛犬はリアルの愛犬バッカス(Butkus)だった
ところで、映画「ロッキー」「ロッキー2」では、ロッキーがエイドリアンから犬(ブル・マスティフ)をプレゼントされているのですが、実は、この犬、スタローンさんの実際の愛犬なのです。
そして、このバッカスとスタローンさんの間には、ちょっとした裏話があります。
スタローンさんは、1969年、生後6週間くらいのブルマスティフの子犬・バッカス(Butkus)を飼い始めるのですが、当時、スタローンさんは、役者として下積み時代で(ニューヨークで3番目に小さいアパートに住んでいたそうです)、仕事がほとんどなく、多くの時間をバッカスと過ごしていたそうです。
当時のスタローンさんと愛犬バッカス。
そんな長い極貧生活中には、家賃が払えず、アパートから追い出され、ニューヨークのバス停で何週間もホームレス状態となった時も、いつもバッカスと一緒だったそうです。
しかし、やがて、スタローンさんは、脚本を学び、安アパートで「ロッキー」を書き上げ、映画会社に売り込むも、来る日も来る日も売れず、とうとう、貧困のあまり、食料を買うお金がなくなり、コンビニの前をうろつき、泣く泣く見知らぬ人にバッカスを40ドルで売ってしまったのでした。
「ロッキー」出演時のスタローンさんとバッカス。
ただ、その数週間後には、「ロッキー」の脚本が売れたことから、スタローンさんはバトカスを取り戻そうと、前述のコンビニに戻り、バッカスを探し続けると、3日かけてようやくバッカスを買った人を発見。
そこで、スタローンさんは、事情を説明したそうですが・・・
その人はバッカスを手放すことを拒否。それでも、スタローンさんは、数週間もの間、交渉を続けると、ようやく、その人は、少しでもいいから映画「ロッキー」に自身を出演させることと、15,000ドルという売値を条件にバッカスを手放すことを承諾したのだそうです。
ちなみに、バッカスは、その後、1981年に心臓発作で亡くなってしまったそうですが、スタローンさんは、今でも、バッカスの写真をパソコンのデスクトップの壁紙にされているそうです。
「シルベスター・スタローンの「ランボー」は当初長過ぎて配給を断られていた!」に続く
「ロッキー」出演時のスタローンさんとバッカス。