吉田拓郎さんのワンマン経営に対し、「最初の考え方と違う」と、吉田さんと口論の末、「フォーライフ・レコード」を退社すると、そんな事情を知らない世間からは、裏切り者のレッテルを貼られ、ライブでも客が入らなくなるなど、歌手生命の危機に立たされた、泉谷しげる(いずみや しげる)さんですが、そんな時、思わぬ人物から声がかかります。
「泉谷しげるは吉田拓郎と口論しフォーライフレコードを退社していた!」からの続き
テレビドラマ「戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件」で俳優として脚光を浴びる
「フォーライフ・レコード」を退社したことで、裏切り者扱いされ、ファンが激減した泉谷さんですが、1979年6月、「土曜ワイド劇場」枠の実録犯罪ドラマ「戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件」(テレビ朝日)で、主人公の誘拐殺人犯・小原保役を演じると、
このドラマは高視聴率を記録するほか、新聞各紙に大きく取り上げられ、芸術祭優秀賞、ギャラクシー賞ほか多くのテレビ賞を受賞し、泉谷さんも、称賛を浴び、たちまち俳優としてもブレイクしています。
「戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件」より。
テレビドラマ「戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件」のあらすじ
それでは、ここで、この「戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件」のあらすじをご紹介しましょう。
東京五輪を翌年に控えた1963年、時計ブローカーだった小原保(当時32歳)は、借金に追われていたため、身代金目的の誘拐を思いつくと、東京都台東区の公園で一人で遊んでいた4歳の男の子・吉展ちゃんを連れ去ります。(吉展ちゃんの身なりが良かったため、お金持ちの家の子供だろうと思ったそうです)
すると、小原は、脚が不自由で、引きずるようにして歩いていたところ、それを見た吉展ちゃんに、「おじちゃん、脚が悪いの?」と聞かれたことから、脚が不自由であると気づかれたことに焦り、歩き疲れて眠っている吉展ちゃんの首を締めて殺害。
それでも、小原は、吉展ちゃん宅に「金を受け取ったら子どもを返す」と電話をかけ、身代金50万円を要求すると、警察の捜査網をくぐり抜け、50万円を持ち去ることに成功します。
ただ、事件発生から2年経った1965年、小原は別件で逮捕されます。そして、その後、吉展ちゃんが変わり果てた姿で発見されたのでした。
捜査本部の不手際を厳しく批判する内容もしっかり描かれていた
ちなみに、劇中では、捜査本部が50万円を手にした小原をみすみす取り逃がしたことのほか、
- 小原が電話で要求した身代金が50万円と少額だったことから、いたずらだろうと思い込んでいた
- 電話の声を「40~50代の男性」と推定し、30代だった小原を容疑者リストから外していた
- 小原に渡す現金の紙幣ナンバーを控えるのを忘れていた
- 現金の受け渡し現場に到着するのが遅れていた
と、不手際を重ねていたことも、しっかり描かれていたそうで、このことも大きな話題となりました。
泉谷しげる抜擢は作品に携わっていない脚本家・向田邦子の強い推薦だった
さておき、こういった内容のドラマだったことから、テレビ朝日は、「土曜ワイド劇場」枠での放送をなかなか正式に決定できずにいたほか、犯人・小原役も多くの俳優たちから断られ、決まらずにいたそうですが、
そんな中、このドラマの脚本家・柴英三郎さんと仲の良かった、同じく脚本家の向田邦子さんが、テレビの歌番組に出演していた泉谷さんを見て、「犯人役は泉谷がいい」と進言し、泉谷さんが起用されることになったそうで、
当時、その場に居合わせた中村和則氏は、
向田さんが「小原役は泉谷しげるがいい」と思いついた瞬間に、僕は居合わせていました。別のドラマのシナリオを受け取りに南青山の向田さんのマンションまで行ったのですが、向田さんはシナリオを書き上げるのがいつも遅かった(笑)
それで、テレビを見ながら僕は待っていたんです。そのときたまたま見ていた歌番組に出ていたのが泉谷しげるさんで、年上の松尾和子さんとデュエットする姿を見て、向田さんは閃(ひらめ)いたんです。
テレビ朝日の福富哲プロデューサー、原作者の本田(靖春)さん、脚本の柴(英三郎)さんらと打ち合わせを兼ねて六本木で飲み会を開いたときも、向田さんは「面白そうだから参加させて」と同席されましたね。
あの頃のテレビ業界は、視聴率やギャラのことよりも、面白いものを創りたいと考える人たちが多かったんです。向田さんも今までにない新しいドラマが誕生することに協力するのが楽しかったんでしょう
と、語っています。
(向田さんは、放送がなかなか決まらず、ふさぎ込みがちだったスタッフたちを励ますほか、ようやく放送日が決定した際には、評論家やテレビ担当の記者たちに「これを見ないと恥をかくわよ」と電話を掛け回っていたそうです。)
泉谷しげるだからこその演技だった
ところで、泉谷さんは、犯人・小原と同様、脚に障害を持っていたことから、劇中、足を引きずって歩く姿がリアルだったほか、
プロの俳優にはない、ふてぶてしさとナイーブさを合わせ持った微妙な表情や、10歳年上の内縁の妻(市原悦子さん)を「おばさん」と呼んで甘える仕草など、世間が五輪に浮かれる中、それとは無縁に、社会の片隅で生きる男の哀しみを見事に表現しているのですが、
「東宝」出身の恩地日出夫監督は、事件現場でのロケ撮影にこだわり、殺害シーンまで、実際の犯行現場で撮影を行ったそうで、
泉谷さんが、
あんたには人の心があるのか
と、喰ってかかると、
そういう君にはあるのか?
と、返され、
実際の犯行現場で子役の首をしめるシーンでは、さすがの泉谷さんも本当に怖くなったそうです。
「泉谷しげるのデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く