プロになるきっかけを探して英リバプールのナイトクラブ「ジャカランダ」で演奏していた中、オーナーの知人から自身の経営するクラブ(「インドラ・クラブ」)で演奏するバンドを紹介してほしいとオファーが来て、独ハンブルクに渡った、スチュアート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe)さんたち「ビートルズ」ですが、初日は泊まる部屋が準備されておらず、しかも、翌日案内された(今後寝泊まりする)部屋は想像を絶する酷さだったといいます。
「スチュアート・サトクリフはビートルズで独ハンブルクに巡業していた!」からの続き
独ハンブルク到着初日は部屋が用意されていなかった
1960年8月17日の早朝に独ハンブルクに到着すると、革のイスで仮眠をとっただけで、その日の夜、疲れと空腹の中、「インドラ・クラブ (Indra Club) 」のステージに上がるも、客は主に娼婦とその客が10人ほど、しかも、苦情があるからと、アンプの音量を下げさせられるなど、厳しい初演奏となった、スチュアートさんたち「ビートルズ」ですが、
その夜も、寝泊まりするための場所が何も準備されておらず、「インドラ・クラブ」の経営者(かつ興行主)のブルーノ・コシュミダーさんの家に泊まることになり、一つのベッドに全員で寝るはめになったそうです。
独ハンブルク滞在中の住まいは古い映画館の汚い裏部屋だった
そして、その翌日には、コシュミダーさんにパウル・ローセン通り33番地にある「バンビ映画館」という映画館の裏部屋に連れて行かれたそうで、
スチュアートさんたちは、なぜ、古い西部劇を上映している寂(さ)びれた映画館に連れて行かれるのか分からなかったそうですが・・・
銀幕の裏にある汚い部屋に案内され、ようやく納得。
コシュミダーさんは、通訳のスタイナーさんを通し、
ハンブルグ滞在中は、ここがビートルズの家だ
と、言い放ったのだそうです。
猛烈な悪臭漂う不潔な寒い部屋で寝泊まりしていた
ちなみに、この部屋、もともと、古い物置だったそうで、コンクリートの壁以外、壁紙もペンキも暖房も何もなく、ただ、キャンプで使うような二段ベッドが2組あるだけだったうえ、すぐ近くにトイレがあったことから、猛烈な悪臭が漂い、かつ、厳しい寒さだったそうです。
そして、やっと眠りについても、映画館の裏部屋だったことから、映画の大音量で起こされるという毎日だったそうです。
インドラ・クラブ (Indra Club)
過酷な出演ノルマがあった
また、出演にはノルマがあり、
平日の夜は4時間半
- 20:00~21:30
- 22:00~23:00
- 23:30~24:30
- 01:00~02:00
土曜日の夜は6時間
- 19:00~20:30
- 21:00~22:00
- 22:30~23:30
- 24:00~01:00
- 01:30~03:00
日曜日の夜は6時間
- 17:00~18:00
- 18:30~19:30
- 20:00~21:00
- 21:30~22:30
- 23:00~24:00
- 24:30~01:30
と、かなり過酷だったそうで、
スチュアートさんは、この頃、家族宛に送った手紙に、
ハンブルクは道徳のないジャングルだ
部屋の中で雨音がする。もし音楽の才能があったら、雨音を空き缶に当てて音楽を作るんだけど。でもベッド横の床に落ちてくる雨音も、悪くない
と、綴っています。
当初はおとなしく評判は良くなかった
そんな中、初めての外国で慣れないこともあり、「ビートルズ」の演奏は、当初は、おとなしく、評判は良くなかったそうですが、
マネージャーのアラン・ウィリアムズさんに、もっと派手に動き回ってはどうかとアドバイスされ、これに従い、観客の気を引くため、曲の途中で飛んだり跳ねたりとステージ上をできるだけ派手に動き回るようにすると、
(特に、ジョン・レノンさんは、これを楽しんでいたそうで、飛び上がったり、床に転がったり、ありとあらゆることをやっていたそうです)
その甲斐あって、徐々に観客が増えていったのだそうです。
「スチュアート・サトクリフは初対面のリンゴ・スターにご馳走していた!」に続く