1969年9月、ミュージカル「ラ・マンチャの男」でミゲル・セルバンテスを演じた世界中の俳優が招かれて共演する企画「国際ドン・キホーテフェスティバル」への出演オファーを受け、翌1970年、初日の3月2日から千秋楽の5月9日まで、60ステージという長丁場を務めた、2代目松本白鸚(まつもと はくおう)さんですが、

このミュージカル「ラ・マンチャの男」は、ベトナム戦争を背景に作られた作品にもかかわらず、

2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんが日本人で初めてブロードウェイで主演を務めたということで、日本でも反響を呼んだといいます。

「松本白鸚(2代目)は若い頃ブロードウェイで日本人初の主演を務めていた!」からの続き

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2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)は最前列の青い目の婦人が涙を拭う姿を見て、この瞬間を味わうためにブロードウェイに来たと感じていた

「国際ドン・キホーテフェスティバル」では、1970年3月2日の初日から同年5月9日の千秋楽まで、60ステージという長丁場を夢中で務めたという2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんですが、

そんなある日のこと、2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんが、臨終のドン・キホーテが「見果てぬ夢」を思い出しながら歌うシーンを演じていると、最前列の青い目の婦人が涙を拭うのが見えたそうで、

それを見た瞬間、自分がブロードウェイに来たのは、この瞬間を味わうためだったと思えたといいます。

(その婦人が涙を拭った白いハンカチが光の珠に見え、今まで流した汗と涙がスーッと吸い込まれていったような気がしたそうです)

2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)はニューヨーク在住の洋画家・猪熊弦一郎夫妻から褒められ嬉しく思っていた

また、千秋楽には、ニューヨーク在住の洋画家の猪熊弦一郎さん夫妻が見に来てくれ、

舞台終了後には、楽屋に来て、

初日の染五郎くん(=6代目市川染五郎=現・2代目松本白鸚)はブロードウェイの俳優たちから光をもらって輝いていたが、今日は君自身が輝いてブロードウェイの俳優に光を与えていたね

と、言ってくれたそうで、とても嬉しかったといいます。

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2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)の「ラ・マンチャの男」は、ブロードウェイで日本人初主演ということで日本でも反響を呼んでいた

そして、この「ラ・マンチャの男」は、2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんが、日本人で初めてブロードウェイで主演を務めたことで、日本でも反響を呼んでいるのですが、

実は、この「ラ・マンチャの男」は、泥沼化するベトナム戦争により、アメリカの権威が失墜しかかっていた時、もう一度アメリカのスピリッツを鼓舞しようとして作られた作品だったため、

全体的に暗い雰囲気が漂っており、歌って踊る陽気なミュージカルではなかったことから、当時、まだ、ミュージカルが成熟していなかった日本では、一度で打ち切りになってもおかしくない作品だったそうですが、

2019年には、帝国劇場において、通算上演1300回を達成しています。


2012年の1200回公演達成時。

ちなみに、2代目松本白鸚(6代目市川染五郎)さんは、著書「私の履歴書」で、

ブロードウェイの舞台に立って、価値観が変わった。歌舞伎の家柄も情実も、芸能界の騒ぎも関係なく、実力だけが問われ、役者は全身全霊、芸のことのみを考えて生きる。それがブロードウェイだった。

「役を勤める」という意味もようやく理解でき、「演劇としての歌舞伎」を意識したのも、ここでの体験が原点といえる。

と、綴っています。

(※歌舞伎では、慣習的に、公演で役を演じることを、「務める」ではなく、「勤める」と書くそうです)

「松本白鸚(2代目)はNHK大河ドラマ「黄金の日日」が大ヒットしていた!」に続く

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日経BP 日本経済新聞出版本部

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