俳優歴50年以上の安定した演技力で、渋く作品の脇を固める、平泉成(ひらいずみ せい)さんですが、当初は、俳優には憧れを持っていただけで、高校卒業後は、ホテルに就職し、ベルボーイとして働いていたといいます。

「平泉成の本名は?改名の理由は占いだった!」からの続き

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少年時代は貧しくも大自然で伸び伸びと育つ

平泉さんは、林業を営むお父さんと助産師だったお母さんのもと、7人兄弟(兄3人、姉3人)の末っ子として誕生すると、食卓には1ヶ月に1回魚が出るか出ないかという、食べるものにも困るほど貧しかったそうすが、

雄大な自然の中(周囲には店が一軒もなかったそうです)、山で、たけのこ・松茸・ゼンマイ・ワラビを採ったり、川で鮎を釣るほか、お父さんから、普段遊んでいる近所の川で、うなぎを取る仕掛けの作り方を教わるなど、伸び伸びと育ったそうです。


小学校の頃の平泉さん。

また、助産師だったお母さんは、朝から晩までずっと働き通しだったそうですが(急患が来るためいつも忙しかったそうです)、野球少年だった平泉さんのため、布の余りで手縫いのグローブを作ってくれるなど、貧しい生活の中でも工夫をしてくれていたそうです。

(ちなみに、お父さんは勉強することが好きだったそうで、昼間、山で木を切る仕事をした後、夜には(特に英語の)勉強をしていたそうです)

中学生の時に俳優に憧れるように

そんな平泉さんは、少年の頃、(まだテレビのない時代だったため)1年に1度の村祭に旅芸人の一座がお芝居をしに来るのを楽しみにしていたそうですが、

時代とともに、それが映画へと変わっていったそうで、映画を見ているうちに、中学生の時には、なんとなく映画俳優に憧れるようになったそうです。


中学生の頃の平泉さん。(野球をしていたそうです)


高校時代の平泉さん。(陸上部に所属していたそうです)

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高校卒業後はホテルに就職しベルボーイとして働いていた

それでも、成長し、高校卒業後の19歳の時には、地元を出て、名古屋のホテルに就職したそうで、そのホテルはまだオープン前だったことから、半年間は、お皿の持ち方やフロントでの英会話などを勉強すると、オープン後は、フロントに回ることになったそうですが、

フロントといっても、カウンターではなく、ベルボーイ(玄関から客室まで利用客の荷物運び等をするスタッフ)をやらされたそうで、

(カウンターの中には大学の英文科卒の人たちがズラッと入ったそうで、商業高校卒の平泉さんは、ジャニーズのような制服を着さされ、ベルボーイをやらされたのだそうです)

半年ほど経ったある日のこと、

俺、ここに一生勤めるとしたらどうなんだろう(大学を出ていない自分が)

もうちょっと別の道があるんじゃないか

と、自分が本当にしたいことは何なのか、学歴ではなく自分の実力でいけそうな仕事はなんなのかを考えるようになったそうで、この時、ほのかに憧れていた俳優になってみたいと思うようになったのだそうです。

(とはいえ、真剣に俳優を目指したわけではなく、若い頃なら誰でも俳優や歌手になりたいと憧れることがあるような、それと同じレベルの憧れだったそうです)

「平泉成が若い頃は市川雷蔵の推薦で大映に入社していた!」に続く


ベルボーイ時代の平泉さん(中央)。

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