「大映京都撮影所」では、市川雷蔵さんや三隅研次監督に可愛がられ、様々なことを学んだという、平泉成(ひらいずみ せい)さんですが、今回は、市川さんと共に「大映京都」の2枚看板として活躍していた勝新太郎さんとのエピソードをご紹介します。
「平泉成は下積時代に三隅研次監督に演技指導されていた!」からの続き
勝新太郎のオーラ(威圧感)が凄まじかった
平泉さんが「大映京都」に入社した時には、市川雷蔵さんともう1人、勝新太郎さんが看板俳優として活躍していたそうですが、
(当時、「大映」では、勝新太郎さんの「勝」と市川雷蔵さんの「雷」で「カツライス」と呼ばれ、二人は破竹の快進撃を続けていたそうです)
とにかく、勝さんのオーラ(威圧感)は凄まじく、近くにいると、圧倒されてしまうほどの強烈なオーラを放っていたそうです。
(勝さんは、とてもいい人だったそうですが、そばにいると自分のエネルギーが全て吸い取られるのではないかと感じるほど、強いエネルギーを持っていたそうです)
勝新太郎は芝居のアイディアをたくさん持っていた
また、勝さんは、お芝居をするうえで、アイディアもたくさん持っていたそうで、映画「座頭市物語」で立ち回りをやっていた際には、
(平泉さんは斬られ役を演じていたそうです)
お前、こっちから来い。平泉、後ろから来い。これでいくぞ
と、指示をされ、
さらには、斬られた後、倒れずにそのまま立って待っているように言われ、勝さんが、びゅっと斬った後、「ハクション!」としたら、それを合図に全員倒れるように指示されたりと、とにかく、勝さんはアイディアが豊富だったそうです。
(とはいえ、勝さんはあまり動かずに斬るため、それについていくのが大変で、どうしても、遅すぎたり早すぎたりして、なかなかうまくいかなかったそうです)
勝新太郎のオーラに圧倒されないよう離れていた
ただ、平泉さんは、市川雷蔵さんや勝新太郎さんになれる訳ではない、むしろアンチの方でやりたいと思っていたことから、
近くにいると、どうしても、アドバイスをされて飲み込まれ、自分の芝居が出来ないようになってしまうと、せめて、待ち時間だけでも、遠くに離れていようと決めていたそうで、
実際、勝さんの主演映画「悪名無敵」(1965)、「酔いどれ博士」(1966)、「兵隊やくざ 大脱走」(1966)などに端役で出演した際には、勝さんのオーラに飲み込まれないように、いつも、隅っこのほうで、1人でセリフの練習をしていたそうで、
勝さんから、「平泉君、やるよ」と呼ばれたら、「はい」と、すぐに戻ったそうですが、それでも、できるだけ顔を合わさないようにしていたのだそうです(笑)
「平泉成が今でも忘れられない下積時代の監督の言葉とは?」に続く
「座頭市物語」より。中央が勝新太郎さん。