2014年には、逮捕されて日本テレビを解雇された次男の御法川雄斗さんを、自身の経営する「ニッコク」に入社させるも、修行のため、和歌山の工場に単身赴任させていたという、みのもんたさんですが、2015年には、早々に東京に呼び戻していたようです。
「みのもんたは不祥事の息子(次男)を自分の会社「ニッコク」に入れていた!」からの続き
息子(次男)御法川雄斗から「ニッコク」入社を希望されていた
みのさんによると、雄斗さんから、「ニッコクでやっていきたい」と言われたそうで、
分かった。だけど、和歌山の工場へ行かせるよ
と、和歌山へ単身赴任させることを伝えたそうですが、
雄斗さんは、
現場の人たちは自分を受け入れてくれるだろうか
と、不安がっていたとのことで、
実際、雄斗さんが、現地の工場長に挨拶の電話を入れたところ、(現地の工場長は頑固な男性だそうで)いきなり、「うちは社長の息子だろうが、関係ないからな」と言われたそうですが、
みのさんは、
でも、その考え方は間違っていない。これから先、次男が人生を切り拓けるかどうかは、すべて自分の努力にかかっています。
と、語っています。
息子(次男)御法川雄斗を特別扱いしないことを強調
また、みのさんは、
総務部長が、「大丈夫でしょうか」と心配してくれているけれど、ダメだったら仕方がない。僕が社長であろうが、特別扱いはしない。僕自身、ほかの社員たちが仲間として迎え入れてくれるまでに、10年かかりましたから。
今、役員や支店長をしている幹部たちは一緒に苦労してきた人間です。組織とは、そういうもの。彼が仲間に加われるかどうかは本人の努力次第です。
この1年間、本人には葛藤があったでしょう。傷ついただろうし、すねたかもしれない。だけど、それは仕方がない。自業自得ですから。
これから先、次男がたとえモノになったとしても、そんなに給料は払えません。月50万円なんて、とても無理。ほかの社員の平均給与を考えたら、そんなに出せるはずがない。特別扱いはしません。
孫はかわいいけれど、苦労をさせたくないという気持ちはありません。そういう考え方は間違っていると思う。僕の場合も小さいころは親父の会社が零細企業で、苦労しましたから。
僕が文化放送を辞めたのは’79年で35歳のとき。次男も同じ30代。あの経験を今後の人生に生かせるかどうか、それは本人次第ですよ。
と、雄斗さんを特別扱いしないこと、後は本人の努力次第であることを強調しています。
息子(次男)御法川雄斗が社長を継ぐことは否定
さらに、みのさんは、雄斗さんが社長を継ぐことについても、
「息子を3代目にしたい」という思いはありません。僕を押し退けるだけの力をつければ話は別ですが、まず無理でしょう。
第一、僕は1年後に会長になろうと思っているんですよ。社長の座は誰かに譲りたい。約10人いる役員、支店長の中から選ぶつもり。その中には、自ら社長になりたいと意志を表明している人間も3人いるんです。
と、否定しています。
息子(次男)御法川雄斗の現在は?
こうして、雄斗さんに対して厳しいことを言っていたみのさんですが・・・
孫の可愛さには勝てず、2015年末には、雄斗さんを東京に呼び戻しているといいます。
というのも、みのさんの楽しみの一つは、孫と会うことだそうで、雄斗さんが単身赴任のままでは、孫に会うのも遠慮してしまうことから、早々に雄斗さんを呼び戻したのではと噂されています。
ちなみに、雄斗さんは、東京の「ニッコク」本社からほど近い場所にある自宅に戻った後は、家族そろって近所に挨拶回りをしていたそうで、近所の人の話では、報道で言われているような印象とは違い、奥さんともに感じが良く、自宅前でよく子供と遊んでいるごく普通の男性とのことでした。
「みのもんたの「秘密のケンミンSHOW」降板理由とは?」に続く