1961年7月、自身が作詞した「上を向いて歩こう」を坂本九さんが歌うのを、「第3回中村八大リサイタル」で初めて聴くと、10代の若者がふざけて歌っているように聴こえ、激怒したという、永六輔(えい ろくすけ)さんですが、作曲をした中村八大さんは、ロカビリーを歌う坂本さんをイメージしながら、「上を向いて歩こう」を作曲していたといいます。
「永六輔は坂本九の「上を向いて歩こう」の歌い方に激怒していた!」からの続き
作曲家の中村八大は坂本九をイメージして「上を向いて歩こう」を作曲していた
作詞をした永さんが、坂本九さんの「上を向いて歩こう」の歌い方に激怒していた一方で、作曲をした中村八大さんは、ロカビリー歌手として活動していた坂本さんの独特の歌い方やフィーリングに感じるものがあったそうで、
「第3回中村八大リサイタル」のために、永さんから渡された「上を向いて歩こう」の歌詞を作曲する際、すでに、(人知れず歌わせようと決めていた)坂本さんの姿をイメージしながら曲を作っていたそうです。
(坂本さんは、人の気持ちが分かる能力に優れていたそうで、中村さんが自身に求めているものをすぐに見抜き、「上を向いて歩こう」をロカビリー風に歌ったと言われています)
周囲から褒められるもやはり坂本九の独特の歌い方に不安を感じていた
また、永さんは、坂本さんが「第3回中村八大リサイタル」で「上を向いて歩こう」を歌い終わって舞台を降りた際、
ハナ肇さんと水谷良重さんから、
いい歌だな
こういうのヒットするのよね
と、言われたそうですが・・・
それでも、永さんは、この時は、「上を向いて歩こう」がヒットするとは思っていなかったそうで、永さんが構成を、中村さんが音楽を手掛けていたバラエティ番組「夢であいましょう」の「今月のうた」というコーナーで、この曲を紹介することが決まった時も、坂本さんの歌い方に、まだ不安を感じていたそうです。
大ヒットは坂本九の邦楽的な歌い方のお陰?
そんな永さんの不安をよそに、「上を向いて歩こう」は、坂本さんのその独特の歌唱法が大きな反響を呼び、数ヶ月に渡って放送され、大ヒットとなっているのですが、
永さんは、著書「永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」」で、
九は川崎の廓(くるわ)街で育ったため、三味線がとても上手でした。都々逸(どどいつ)、清元(きよもと)、端唄(はうた)、なんでも歌えた。幼い頃から、お母さんやお姉さんにそうした芸を教えられてきた。
部屋の壁には三味線が並んでいる雰囲気の中で育ったんです。ところが、高校時代にギターに出会ってロカビリーになっちゃった。でも、歌い方は三味線といえます。
『上を向いて歩こう』も『見上げてごらん夜の星を』(作曲:いずみたく)も、節回しは邦楽なんです。だから、若者にも年寄りにも面白いな、と聞こえたんだと思います。
と、語っています。
「永六輔は坂本九がスターになった後も厳しい態度で接していた!」に続く
(左から)永さん、坂本九さん、中村八大さん。