戦争が終わっても生死が分からないお父さんを待つ間、極貧生活の中、過労と栄養不足がたたってお母さんが倒れ、食べ物を手に入れるため、子供用の衣類を持って、農家を1軒1軒回り、ようやく、袋いっぱいの大豆をもらうことができるも、そんな大豆も、悪ガキたちに泥まみれにされ、途方に暮れていた、財津一郎(ざいつ いちろう)さんですが、そんな中、見知らぬおばあさんが手を差し伸べてくれたといいます。
「財津一郎は少年時代に病気の母親の為に農家を回って食べ物をもらっていた!」からの続き
遠くからおばあさんが手招きしているのが見えた
栄養失調で「脚気(かっけ)」になったお母さんのため、やっとの思いで農家から大豆を分けてもらうも、悪ガキたちに泥まみれにされ、もうお母さんに食べさせられない大豆を拾いながら、涙が止まらなくなったという財津さんですが、
ふと、顔を上げると、遠くの方で、小柄で痩せたおばあさんが、(何を言うわけでもなく)やさしく手招きしているのが見えたそうで、
財津さんは、
あのおばあさんは一体何をしているのか
と、不思議で仕方がなかったそうですが、招かれるがままに、おばあさんの方へと歩いて行ったそうです。
おばあさんはお餅を焼いて食べさせてくれた
すると、おばあさんは、財津さんを自宅まで連れて行ってくれ、家に着くなり、仏壇から白いお餅を5つ持って来ると、炭火で焼き始め、
(門のないとても小さな家だったそうです)
焼き上がると、財津さんに渡してくれたそうで、財津さんは、お腹がペコペコだったことから、そのお餅に勢いよくかぶりついたそうです。
(熱いやら、うまく切れないやらで、思うように食べることができなかったそうです)
ただ、そのうち、悪ガキたちにやられた悔しさがこみ上げてきて、わんわん泣き出してしまったそうですが、
おばあさんは、そんな財津さんを見て、
よかよか~ 食べたらよか~
と、言ってくれたのだそうです。
母親はお餅を差し出すと涙を流していた
それでも、財津さんが食べたお餅は1つだけで、残りの4つはお母さんの為に持ち帰り、お母さんにお餅を差し出すと、お母さんは、黙って横を向いてしまったそうですが、
財津さんには、お母さんの頬から涙がポロポロとこぼれ落ちるのが見えたそうです。
(お母さんは、子供がどれほどの苦労をしてお餅を持って帰ってきたか察していたのでした)
「財津一郎は少年時代「農地解放」で先祖代々の土地を失っていた!」に続く