1964年、東京オリンピック開催に際し新聞社が企画した座談会で、コンパニオンを務めていた亜希子さんに一目惚れし、翌年結婚すると、現役時代は、表には一切出ず、サポートしてもらっていたという、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、亜希子さんは、2007年、心不全により、突然、他界されています。
「長嶋茂雄は妻の取材を全て断っていた!」からの続き
妻・亜希子が心不全により他界
長嶋さんの妻の亜希子さんは、2007年9月18日午前4時33分、東京都内の病院で心不全のため64歳で他界されているのですが、
長男の長嶋一茂さんによると、亜希子さんは、前日の9月17日、一茂さん夫婦と食事をした後、一茂さんが車で自宅へ送る途中で気分が悪くなり、そのまま病院に直行して入院すると、
長嶋さんら家族が駆けつけるも(長嶋さんは、亜希子さんの名前を呼び続けていたそうです)、意識が戻らないまま、そのまま亡くなったそうで、
一茂さんは、
病院では一度も意識が戻らなかった。(前日は)食事も一緒だったんですが・・・。私の車で自宅に送ろうとしたが途中で呼吸が苦しそうだった。父を含め家族はずっと母の近くにいます。まだ現実を受け入れられない。
長嶋茂雄という男を陰から支えた気丈な母。家族にも何も(不満を)言わなかった。トラブルもいろいろあったと思いますが、最後まで聞けなかった。
と、語っています。
妻・亜希子は自殺だった?
ただ、死因が「心不全」と発表されたことや、あまりにも突然の死去だったこと、そして、葬儀が近親者のみの密葬だったことから、自殺だったのではと噂されました。
(病であることを伏せていたなど、公にできない死因の時に、よく「心不全」が用いられるそうです)
脳梗塞で倒れた場所は愛人宅だった?
というのも、実は、長嶋さんが、2004年3月4日、「脳梗塞」で倒れた場所は、愛人の家で、その愛人が長嶋家に連絡すると、長男の一茂さんは、愛人宅から長嶋さんが救急車で病院に搬送されるのはまずいと思い、まず、長嶋さんを、一旦、自宅に運ばせ、自宅から救急車で病院に搬送されるようにしたと言われており、
(「脳梗塞」は、一刻も早い治療介入が必要な病気なのですが、このような経緯から治療が大幅に遅れ、長嶋さんは重度の後遺症が残ってしまったと言われています)
亜希子さんは、このような長嶋さんの女性関係に悩んでいたと言われているのです。
「脳梗塞」後は妻・亜希子と別居していた
また、亜希子さんは、20年近く、「膠原病(こうげんびょう)」を患っていたそうで、長嶋さんが「脳梗塞」で倒れてから1年後、長嶋さんと別居したと言われているのですが、かなり、心労が重なっていたのかもしれません。
(一茂さんは、亜希子さんが死去した際、「(長嶋さんが)脳梗塞で倒れてからはお互い健康状態が悪いため、別々の家で暮らすこともあった」と語っています)
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