1974年11月21日、現役を引退した直後に巨人軍の監督に就任するも、監督1年目の1975年は、球団史上初の最下位という結果に終わった、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、チームの柱だった長嶋さん自身が抜けて戦力ダウンしただけでなく、長嶋さんが選手たちの心を掴むことができなかったのも大きな理由だったといいます。

「長嶋茂雄の巨人監督就任1年目は球団史上初の最下位だった!」からの続き

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川上哲治監督時代はV9と引き換えに若手の育成が疎かになっていた

現役引退後2~3年くらいは、リフレッシュしたかった中、球団の強いオファーに折れ、巨人の監督に就任した長嶋さんですが、

前監督の川上哲治さんは、連覇を続けるため、毎年、各チームの主力選手を獲得して、若手はあまり起用しなかったことから、V9の主力選手たちが高齢化した今、それに代わる若手がいない状態になり、戦力が大幅に落ちたそうで、

長嶋さんは、チームの若返りを進めるため、一からチームづくりに取り組まなければならなかったそうです。

兄貴分から指揮官となり態度が変わったことから選手たちに反発されていた

また、長嶋さんは、引退後、すぐに監督に就任したことから、選手たちにとっては、これまで「いい兄貴分」だったのが、いきなり「指揮官」となり、その指示がなかなか受け入れられなかったそうで、

長嶋さんの現役時代、監督時代、通して巨人の選手だった高田繁さんは、

指導者としてのやりづらさはあったはずです。現役の時、春季キャンプで『寒い中で練習なんかしたらダメだ』とボヤいていたのに、監督になったら『こういう状況で寒稽古するほうが野球は上手くなるんだ』なんて言い出すものだから、去年とえらく違うなと思ってしまいましたよ(笑)

同じく、高橋善正さんも、

長嶋さんは、自身がすごい人だったからか、ダッグアウトで『なんでお前はそんなこともできないの』と口にしてしまう。それに試合中、自軍の選手はあまり褒めないのに相手球団の選手を絶賛するんです。

悪意があったわけではないのでしょうが、ガックリきてモチベーションが下がった選手は少なくありませんでした

と、証言しています。

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選手たちから監督として認められない焦りと苛立ちで荒れていた

さらに、選手たちは、「監督」と聞くと、川上さんが思い浮かぶ状態で、まだ長嶋さんを監督として見れなかったこともあり、長嶋さんは、思うように選手が動いてくれない焦りと苛立ちが言葉に表れ、それで選手の気持ちが離れる、という悪循環に陥っていったそうで、

シーズン終盤の9月に11連敗すると、(表向きは快活に振る舞っていたものの)遠征先の自室では、現役時代はほとんど口にしなかったお酒の量が増えたほか、自宅では庭にある木を殴り、球場のロッカーのドアを蹴飛ばしたりするなど、相当なストレスを抱えていたそうです。

(高田繁さんによると、長嶋さんが、手に包帯を巻いていたり足に湿布を貼っていたりすることが日に日に増え、選手たちは、「監督はどうしたんだ」と話をしていたそうです)

「長嶋茂雄は川上哲治前監督の意向を全て無視していた!」に続く

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