1975年に発足して以来、ファンの絶大な支持を得て、「永久政権」とまで言われるも、6年で川上哲治前監督に監督を解任させられた、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんですが、その後、12年間の「浪人生活」を経て、読売新聞社社長(当時)の渡邉恒雄さんから打診を受ける形で、巨人軍の監督に再登板します。

「長嶋茂雄は川上哲治に監督を解任されていた?」からの続き

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巨人軍監督を解任させられた後はスポーツ全般のリポーターとして世界中を飛び回る

1980年、川上哲治前監督に巨人軍監督を解任させられた長嶋さんは、その後、西武の監督・根本陸夫さんから「西武の監督やってくれないか」と声をかけられるほか、大洋、ヤクルト、日本ハムからも、熱烈なオファーを受けたそうですが、巨人への思いから、それらを全て断ったそうで、

伊藤忠商事相談役の瀬島龍三さんから、「広い世界を勉強してから野球界に戻るべきだ」とアドバイスされたこともあり、浪人生活に入ると、野球のみならず、スポーツ全般のリポーターとして、世界陸上を取材するなど、世界中を飛び回ったそうです。

ナベツネ(渡邉恒雄)からの要請で巨人軍の監督に再登板

そんな中、監督解任から12年の歳月を経た1992年、翌年に開幕を控えるJリーグによって野球人気が低迷することを危惧した、読売新聞社社長(当時)の渡邉恒雄さんから監督再登板の打診を受けると、長嶋さんは了承。

同年10月12日には、巨人軍の監督に再就任すると、コーチ陣はヘッドコーチの須藤豊さんをはじめ、中畑清さん・山倉和博さんなど気心の知れた人たちを起用します。

すると、初仕事となった、同年11月21日のドラフト会議では、星稜高校の松井秀喜さんの交渉権を引き当てるなど、幸先の良いスタートを切ったのでした。

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第一次政権とは打って変わって、選手とは距離を置き、試合の采配に専念する大リーグ方式を採用

ちなみに、長嶋さんは、監督再就任にあたり、選手の指導や日常生活はコーチ陣に任せ、自身は、試合の采配に専念する大リーグ方式を採用したそうで、

長嶋さんは、著書「野球は人生そのものだ」で、そのことについて、

前回の監督の時は西本聖・角三男(盈男)など能力を秘めた若手がふがいない投球をすると手を出していたが、2回目の監督の時はそういうことはしなかったので拍子抜けしたんじゃないかなと。

と、綴っており、

(若手選手だけではなく、コーチや次世代の監督を育成することも目標に掲げたそうです)

長嶋さんの第一次政権時、現役だった篠塚和典さんも、

ミスター(長嶋さん)が再び監督になると聞いた時、私は選手たちに第一次政権時の苛烈な指導法を念頭にしたアドバイスを行いました。しかし、蓋(ふた)を開けてみれば、ミスターの方針はガラリと変わっていた。選手とは距離を置き、指導はコーチに任せるというスタンスになったんです

と、語っています。

「長嶋茂雄は10.8(中日との優勝決定戦)前夜、槙原寛己と桑田真澄に声をかけていた!」に続く


野球は人生そのものだ

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