1994年、中日と同率首位で迎えた優勝決定戦となる最終戦(10.8)で早々に2対0とリードした、長嶋茂雄(ながしま しげお)さんは、直後、同点に追いつかれるも、すぐに突き放すと、リーグ優勝を決め、日本シリーズでも、リーグ5連覇中の西武ライオンズを下し、念願の日本一を果たします。

「長嶋茂雄は10.8(中日との優勝決定戦)前夜、槙原寛己と桑田真澄に声をかけていた!」からの続き

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落合博満のタイムリーで逆転し、村田真一、コトー、松井秀喜のホームランで追加点

2回表には、FA入団1年目の落合博満選手のソロホームランと槙原寛己投手の内野ゴロで2点を先制した巨人ですが、2回裏に、槙原投手が、4連続安打や、外野手ダン・グラッデンの失策により、2対2の同点に追いつかれると、長嶋さんは、早々に、投手を斎藤雅樹投手に交代。

すると、3回表には、川相昌弘選手がヒット、松井秀喜選手がバントして川相選手が二塁に進塁、落合選手がタイムリーヒットと、再び3対2とリード。

そして、4回表には、一死から村田真一選手、二死からヘンリー・コトー選手がソロホームランを放ち、5対2の3点リードとすると、5回表には、松井選手の本塁打で6対2とします。

(ただ、3回裏には、落合さんが守備中に左足の内転筋を痛めてしまい、痛み止めを打って、一度はグランドに戻ったものの、迷惑をかけると判断し、自分からそのことを告げると、4回からはベンチに退いています)

斎藤雅樹は試合途中で内転筋を痛めるもテーピングして投げていた

その後、巨人は、6回裏に彦野利勝選手の適時打で1点を返され、6対3とされるのですが、

(実は、斎藤投手は、試合の途中で内転筋を痛め、テーピングでぐるぐる巻きにして投げていたそうで、長嶋さんは、そんな斉藤さんのことを「この試合、一番の功労者」と称えています)

7回裏に桑田真澄投手が登板すると、中日打線を三者凡退に抑えます。

中日・立浪和義の捨て身のプレーで意気消沈していた中日のベンチに再び火がつくも・・・

しかし、8回裏には、立浪和義さん(桑田さんのPL学園の後輩)が三塁前へのボテボテの当たりで、一塁にヘッドスライディングして内野安打とすると、

立浪さんはこのプレーで左肩を脱臼して退場になるのですが、この捨て身のプレーに、意気消沈していた中日のベンチに火がつき、一死一、三塁となります。

(立浪さんは後に、この時のことを「野球には流れがある。自分が出たら絶対点になると思った」と、語っています)

桑田真澄が3イニングを無得点に抑え優勝

ただ、桑田さんも、PL学園の後輩である立浪さんの捨て身のプレーを目の当たりにし、立浪さんのためにも絶対勝とうと自らを鼓舞したそうで、

「ホームランが出れば同点」というこのピンチを、しっかり、無得点に抑えると、9回裏も、最後の打者・小森さんを空振り三振に取り、長嶋・巨人は、6対3で中日を制して、見事優勝を果たしたのでした。

(この試合は、後々「10.8決戦」と語り継がれる名試合となっています)

落合博満と抱き合って優勝を喜んでいた

ちなみに、1977年以来、実に17年ぶりの優勝となり、胴上げされた長嶋さんは、その後、胴上げには参加できず、ベンチから足を引きずりながら出てきた落合さんと抱き合っているのですが、落合さんの目には涙が浮かんでいたといいます。

というのも、落合さんは、巨人に入団する際、

長嶋監督を胴上げするために来た

と、語っており、今、まさに、それが現実のものとなったのでした。

(この試合のテレビ視聴率は関東で48.8パーセントを記録したそうです)

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西武ライオンズを下し監督初就任から20年の月日を経て日本一を達成

そんな長嶋巨人は、日本シリーズでもそのままの勢いで、パ・リーグ5連覇の西武ライオンズを4勝2敗で下し、長嶋さんは、1975年の監督初就任から実に20年の月日を経て、ついに監督として初めて日本一を果たしているのですが、

この年で引退した篠塚和典選手は、

あの時、チーム全員が『監督のために』という思いを持って戦い、長嶋さんを日本一の監督にすることができた。プロ野球の歴史でミスターほど偉大な存在は、もう二度と出てこないと思います

と、語っています。

「長嶋茂雄は1996年には11.5ゲーム差を逆転優勝(メークドラマ)していた!」に続く

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