1978年、ドラフト3位でロッテオリオンズに入団すると、1981年には打率3割2分6厘で首位打者、1982年には史上最年少の28歳で三冠王、1985年には打率3割6分7厘、52本塁打、146打点という驚異的な成績で2度目の三冠王、さらには、1986年にも三冠王となって史上初の3度の三冠王を達成するほか、現役引退後、監督としても、2004~2011年の監督在任8年間で中日ドラゴンズを、リーグ優勝4回(2004年、2006年、2010年、2011年)、日本一1回(2007年)を含む、すべての年でAクラス入りさせた、落合博満(おちあい ひろみつ)さんは、小学校に入る前から新聞で丸めたボールを棒で打って遊んでいたといいます。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

落合さんは、1953年12月9日生まれ、
秋田県南秋田郡潟西村(現・男鹿市)出身、

身長178センチ、
体重82キロ、

血液型はO型、

学歴は、
琴浜村立鵜木小学校(現・男鹿市立鵜木小学校)
⇒若美町立潟西中学校
⇒秋田県立秋田工業高等学校
⇒東洋大学中退
⇒東京芝浦電気の府中工場社会人野球部(東芝府中)

趣味は、映画観賞、
特技は、ボウリング、

ちなみに、「落合博満」は本名です。

また、総合格闘家でプロレスラーのジャイアント落合さんは、甥(姉の子供)です。

(ジャイアント落合さんは、2003年に30歳の若さで急性硬膜下血腫により他界されています)

幼い頃は甘えん坊な子供だった

落合さんは、農林省の役人だったお父さんと、和菓子屋を営むお母さんのもと、7人兄姉(男3人、女4人)の末っ子として誕生したそうで、

幼い頃は、お店の仕事で忙しかったお母さんに代わり、お兄さんやお姉さんに面倒を見てもらっていたそうですが、とにかく甘えん坊な子供だったそうです。

(一番上のお姉さんとは14歳も年の差があったそうです)

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小学校に入る前から新聞で丸めたボールを棒で打って遊んでいた

そんな落合さんは、小学校に入る前から、新聞で丸めたボールを棒で打つ野球に似た遊びをするようになると、小学4年生の時には、お兄さんの影響で、地元の学童野球チームに入部したそうで、

落合さんは、その頃のことを、

(野球を覚えたのは)小学校に入る前だと思う。スポーツではなく、遊びですよ。だから1人でもできるし、遊びだから練習もする。目の前にある物をどうやって遊びに使うか、子どもたちは頭を使った。バットを買える人なんてそうはいないけど、それなら杭をなたで削ればいい

(野球の原体験だった「丸めたものを長いもので叩く」ことについて)そう、野球イコール遊び。現代の人には通用しない理屈でしょう。今の人たちは遊び方が下手。器用にものを使いこなす習慣がないんだと思う

と、語っています。

(落合さんも、使わなくなった農具の柄を自分で削ってバットを作ったのだそうです)

「落合博満は中学高校共に1年生にして4番を打っていた!」に続く

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