1983年の夏、法政大学時代に疲労骨折していた右肩が悪化し、だましだまし投球していたという、江川卓(えがわ すぐる)さんは、1985年のシーズンオフに中国鍼治療を受けたのが功を奏し、1986年と1987年8月終了時点までは好成績を収めていたのですが、9月20日の広島戦で4番・小早川毅彦選手に逆転サヨナラ2ラン(しかも2打席連続本塁打)を打たれると、これをきっかけに引退を決意したといいます。

小早川毅彦に逆転サヨナラ2ランを打たれ、がっくりする江川卓

「江川卓は球宴で10連続奪三振を狙っていた!」からの続き

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入団7年目の1985年は痛めていた右肩が悪化し規定投球回到達投手の中で防御率が最下位となっていた

1983年の夏、法政大学時代に疲労骨折していた右肩が悪化して以来、だましだましの投球だったにもかかわらず、1984年には、オールスターゲーム第3戦で、8者連続奪三振を記録するほか、15勝5敗、3完封(最多完封)、勝率.750(最高勝率)、防御率3.48、という素晴らしい成績を残した江川さんですが、

1985年は、右肩の悪化がひどく、この年のセ・リーグ規定投球回到達投手中最下位の防御率5.28に低迷してしまいます。

入団8年目の1986年は中国鍼治療が功を奏して復調し16勝6敗、1987年も8月終了時点で12勝2敗と好調だった

それでも、1986年は、1985年のシーズンオフに受けた中国鍼(はり)治療が功を奏し、再び、16勝6敗と好成績を収めると、1987年も、好調な打線に支えられ、8月終了時点で12勝2敗と大きく勝ち越したのですが・・・

(1987年6月2日のヤクルト戦(神宮球場)では、6回1/3を投げて自責点3で降板するも、「怪物」と言われたボブ・ホーナー選手との対戦では、3打席連続三振を奪っています)

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入団9年目の1987年9月20日の広島戦で小早川毅彦に2本塁打を浴びたことがきっかけで現役引退を決意

右肩は悪化するばかりで、だましだましのピッチングが続いていたそうで、ついに、9月に入って2連敗すると、9月20日の広島戦では、4番・小早川毅彦選手に逆転サヨナラ2ラン(しかも2打席連続本塁打)を打たれてしまいます。

(完投しながらもこの2本塁打による3失点で敗戦)

すると、江川さんは、これをきっかけに、球団の慰留を押し切り、現役を引退してしまったのでした。

(引退会見では、長谷川実雄球団代表が、「強い信頼関係、100%の信頼関係で結ばれている」「引退というものは、一芸に秀でた達人がその世界を去るということ。自由にしてあげるのが礼儀」と、任意引退ではなく自由契約とした旨、語っています)

「江川卓は小早川毅彦に渾身の1球をホームランされ号泣していた!」に続く

小早川毅彦に逆転サヨナラ2ランを打たれ、がっくりする江川卓
1987年9月20日、小早川毅彦選手に逆転サヨナラ2ランを打たれ、がっくりする江川さん。

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