プロ入り1年目に、偶然、雨宿りで知り合った、当時、高校生だった恭子さんと、出会って7年目に結婚したという、王貞治(おう さだはる)さんですが、結婚後は亭主関白で、現役時代は自分の世界に閉じこもることも多く、3人の娘が誕生した後も、子育ては妻の恭子さんに任せきりだったそうです。

「王貞治の前妻との馴れ初めは?」からの続き

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結婚後は亭主関白だった

王さんは、結婚後はかなりの亭主関白で、家のことは全くせず、3人の娘に恵まれるも子育ては恭子さんと恭子さんのお母さんに任せきりだったほか、

現役時代は、完全に自分の世界にこもることが多く、ナイターから帰ってきて夕食を済ませると、

(すでに午前2時だったそうです)

恭子さんに、

何があっても起こすな。電話も取り次ぐな

と、言って、夏でもカーテンを締め切り、クーラーもつけない部屋で、午前11時までの9時間、ぶっ通しで寝ていたそうです。

また、ダイエー(現・ソフトバンク)ホークスの監督を引き受けると決めた時も、一言、「福岡に行くよ」と告げただけだったそうです。

前妻・恭子は王貞治を陰でサポートしていた

それでも、恭子さんは、王さんが不調に陥ると、王さんの師匠である荒川博さんに電話をかけ、

(この時、荒川さんは、既に巨人の打撃コーチを辞し、ヤクルトの監督になっていたそうですが)

お父さん、見てやってください

と、頼むなど、王さんの知らないところで、陰ながらサポートをしてくれていたそうで、

王さんは、後に、

妻がいなければ、とても「世界の王」どころではなかった。

と、語っています。

(恭子さんは、荒川さんのことを「お父さん」と呼んでいたそうで、さすがに、これには、荒川さんも困惑していたそうです(笑))

前妻・恭子が胃ガンのため他界

しかし、そんな恭子さんも、2001年12月、57歳という若さで、胃ガンのため他界されており、

王さんは、著書「もっと遠くへ 私の履歴書(日本経済新聞出版)」で、

野球一点張りで 何の孝行もしてやれなかったけれど、唯一の救いは献立で一度も困らせなかったことだろうか。

私は出かける前に必ず「今日はおでん」とか「しゃぶしゃぶ」「水ギョーザ」と注文した。「何でもいい」と言われるのが一番困るという話をよく聞くので、これだけは負担をかけずに済んだかもしれない。

と、恭子さんへの思いを綴っています。

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子供は3人共娘で次女は王理恵

ちなみに、王さんと恭子さんの間には、理香さん、理恵さん、理沙さんと、3人の女の子が誕生しており、次女は、1970年3月7日に誕生した、スポーツキャスターでタレント、雑穀料理研究家の王理恵さんです。


次女の理恵さん。

理恵さんは、田園調布雙葉学園小学校・中学校・高校を経て、青山学院大学文学部英米文学科卒業後、博報堂で勤務していたそうですが、博報堂を退社後は、お父さんの王さんが福岡ダイエーホークスの監督に就任したことをきっかけに、福岡放送のスポーツ報道番組「Jump Up ホークス」のリポーターとして出演し、注目を集めるようになると、

その後、全国区にも進出し、TBSのテレビ番組「エクスプレス」でスポーツキャスター、ニッポン放送のラジオ番組「デーブと王理恵の燃えろ!プロ野球」「デーブと王理恵の燃えろ!スポーツ天国」などでパーソナリティーを務めました。

そして、現在は、タレント活動のほか、ジュニアベジタブル&フルーツマイスター(野菜のソムリエ)や雑穀エキスパートの資格を生かし、食生活が健康に及ぼす重要性を伝える活動や、新しいライフスタイルを提案する活動をしているそうで、食に関するシンポジウム、パネルディスカッション、講演会なども行っているそうです。

(長女の理香さんと三女の理沙さんについては、情報がないことから、芸能関係者ではないようです)

「王貞治の現在の妻との馴れ初めは?次女・理恵に再婚を反対されていた!」に続く


(左から)長女の理香さん、王さん、三女の理沙さん、妻の恭子さん、次女の理恵さん。

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