1985年11月20日のドラフト会議では、PL学園のエース・桑田真澄投手を1位指名し獲得した、王貞治(おう さだはる)さんは、早速、桑田投手を即戦力と見込み、桑田投手と江川卓投手を主軸に、リリーフで、鹿取義隆投手、角三男(現・角盈男)投手、ルイス・サンチェ投手を投入して逃げ切るという戦略を立てたそうですが、ワン(王)パターンと批判されたといいます。

「王貞治は巨人監督時代ドラ1で桑田真澄を獲得し大バッシングされていた!」からの続き

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監督就任3年目も優勝出来なかった

王さんは、桑田真澄投手を即戦力と見込んでドラフト1位指名し獲得していたことから、須藤豊二軍監督に「早くあげてくれ」と催促したそうですが、体ができるまで、となかなかよこしてくれなかったそうで、桑田投手が一軍に上がってきたのは、1986年の5月25日だったそうです。

そのうえ、桑田投手は、15試合登板、61.1投球回で、2勝1敗、防御率5.14と、活躍できず、この年(監督就任3年目)も優勝を逃します。

監督就任4年目、巨人はかつてない危機を迎えていた

そして、監督就任4年目の1987年には、主砲の原辰徳さんが開幕直前に肉離れを起こして開幕に間に合わず、トレード前の前年オフの早い時期から移籍交渉を行っていた落合博満さんを、中日ドラゴンズに取られてしまうなど、チームはかつてない危機を迎えたことから、

王さんは、

今年が最後と思って、なりふり構わずやる

と、宣言します。

リリーフに鹿取義隆・角三男・ルイス・サンチェを回す采配を「ワン(王)パターン」「酷使」と批判を浴びるも・・・

そんな王さんは、誰になんと言われようと、もう自分が思ったようにやるだけだと思い、この年(1987年)は、高卒2年目の桑田真澄投手(19歳)と江川卓投手を主軸とし、勝ちパターンになると、リリーフに、鹿取義隆さん、角三男(現・角盈男)さん、ルイス・サンチェさんの3人を投入して逃げ切るという戦略を立てたそうですが、

「角、サンチェ、鹿取」と3人を回す毎日に、王さんの采配は、「 ワン(王)パターン」「酷使」と批判されます。

(「王」は母国語では「ワン」と発音するため、王パターンとワンパターンを掛けられたそうです)

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鹿取義隆・角三男・ルイス・サンチェが大活躍

それでも、いったん、必勝パターンができると、接戦を確実にものにできるようになったため、何を言われても、ただ勝つのみ、と意に介さず続けていると、

結果、角投手は57試合に登板する大車輪の活躍をしたほか、サンチェ投手は39試合で9セーブ、鹿取投手はリーグ最多の63試合に登板して18セーブを挙げる活躍をしたそうで、

(そのため、鹿取さんは、巨人ファンから「鹿取大明神」と称されています)

王さんは、著書「もっと遠くへ 私の履歴書(日本経済新聞出版)」で、

大エースが君臨した時代と違って、今は七回以降の投手で勝負が決まる。酷使と言われた鹿取が今でも「出てナンボの商売だから、使ってくれてうれしかった」と言ってくれているのがうれしい。

一学年上に江川という飛び抜けた投手がいた鹿取は自分の働き場所を模索していたところで、昔の選手のようなハングリー精神を持っていた。一度マウンドに上がったら、「自分の打席に回ってくるまでは抑えて、絶対に下りないぞ」というつもりで投げていたという。こういう人間は強いし、頼りになる。

と、綴っています。

「王貞治は巨人監督就任4年目で初のリーグ優勝を果たすも・・・」に続く


もっと遠くへ 私の履歴書(日本経済新聞出版)

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