1988年は故障者続出で、優勝した中日に12ゲーム差をつけられ2位に終わるも、やっと思うようなチームが出来てきた中、監督を解任された、王貞治(おう さだはる)さんは、しばらくはのんびり過ごし、その後、メジャーリーグの本塁打王ハンク・アーロンさんと「世界少年野球大会」を立ち上げて活動していたそうですが、そんな中、福岡ダイエーホークス(現・ソフトバンク)の監督に就任したばかりだった根本陸夫さんに、自身の後任を打診されたといいます。

「王貞治は日本一になれずに監督を解任されていた!」からの続き

Sponsored Link

巨人の監督退任後は何をしたいか分からなかった

1988年、5年間務めた巨人の監督を退任した王さんですが、1959年、19歳で巨人入りして以来、選手、助監督、監督と、30年間、脇目も振らずに巨人で野球に没頭してきたことから、ユニフォームを脱いだ時には、自分が何をしたいか分からなかったそうです。

というのも、王さんは、「後講釈」になりがちな解説の仕事は好きではなかったそうで、解説の仕事は、たまに、NHKに呼ばれて、ゲスト解説をするだけだったほか、

(選手時代や監督時代には、解説者からあれこれ言われても、それも仕事のうち給料のうちと思っていたそうですが、自分でそういう商売はしたくなかったそうです)

飲食店の経営なども、失敗する先輩たちを見てきたこともあり、考えられなかったのだそうです。

メジャー本塁打王のハンク・アーロンと「世界少年野球大会」を立ち上げる

そこで、1年くらい、英語を勉強するなどして、ぼーっと過ごしていたそうですが、そんな中、メジャーリーグの本塁打王のハンク・アーロンさんと缶コーヒーのCMで共演することになると、

その席で、アーロンさんと、世界の子どもたちに野球の楽しさを伝えようという話で盛り上がったことから、「世界少年野球大会」(WCBF:一般財団法人世界少年野球推進財団)を立ち上げたそうです。


王さんとハンク・アーロンさん。

Sponsored Link

根本陸夫に福岡ダイエーホークス(現・ソフトバンク)の監督を打診されていた

そんな中、実は、西武、ヤクルト、日本ハム、横浜など複数の球団から監督のオファーがあったそうで、王さんとしては、自分はあくまで「巨人の王」という自負があったことから、「世界少年野球大会」の仕事を理由に断っていたそうですが・・・

1993年には、この年、福岡ダイエーホークス(現・ソフトバンクホークス)の代表取締役専務兼監督に就任したばかりの根本陸夫さんにも、ホテルのロビーでばったり会った際、

ワンちゃん、オレの次は頼むよ

と、声をかけられたのだそうです。

実は、この時、王さんには、根本さんがとても本気で言っているとは思えなかったそうですが、この年には、Jリーグ(サッカー)が発足して、プロ野球界に危機感が広がっており、かつて、西武の管理部長として、独創的なアイデアでチーム作りを進めていた根本さんは、プロ野球界全体のことも考え、スポーツだけでなく趣味が多様化していく時代に、プロ野球が巻き返すには「ON対決」(王さんと長嶋茂雄さんとの対決) という切り札しかないと、当初から、自分の後任として、王さんに狙いをつけていたのでした。

(サッカーは、川淵三郎チェアマンのリーダーシップのもと、チーム名から企業名をはずし、地域密着をうたった体制作りで話題を集めていたそうで、その理念はプロ野球を反面教師にしたとも言われています)

「王貞治は巨人への思いを断ち切る為ホークス監督を引き受けていた!」に続く


王さん(左)と根本陸夫監督(右)。

Sponsored Link