1993年、福岡ダイエーホークス(現・ソフトバンク)の監督に就任したばかりの根本陸夫さんに、自身の後任を打診されたという、王貞治(おう さだはる)さんは、当初は、巨人以外のユニフォームを着ている自分がイメージできず、固辞したそうですが、根本さんの使者である瀬戸山隆三球団代表に熱心に口説かれるうち、もう一度あのゾクゾクする勝負の世界に身を置きたい、という気持ちを抑えられなくなり、1994年夏、ついに監督の話を引き受けたといいます。

「王貞治は根本陸夫に福岡ダイエーホークス監督を打診されていた!」からの続き

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根本陸夫から福岡ダイエーホークスの監督を打診されていた

王さんが、初めて根本陸夫さんと「公式」に会ったのは、1994年1月、人目に付きにくい銀座の地下にあるフランス料理店だったそうで

根本さんからは、長嶋茂雄さんの巨人復帰を引き合いに出し、

東京ドームには長嶋という長男がいる。君は福岡ドームの長男にならんか。補強はいくらでもする

と、言われたそうですが、

(この話は、王さんの巨人復帰はないだろうという前提での話ではあったものの)まだまだ、王さんには、巨人以外のユニフォームを着る自分がイメージできなかったことから、

この先いくらお話をいただいてもお受けできません

と、断ったそうです。

福岡ダイエーホークスの監督を引き受ける

しかし、あきらめない根本さんが、毎月、使者として、瀬戸山隆三球団代表を送り込んでくると、4回、5回と瀬戸山代表と会っているうちに、頑なだった王さんも、次第に気持ちが傾き、

(瀬戸山さんは根本さんから「ノーと言われるまで、毎月会え」と厳命されていたそうです)

1994年夏頃、ダイエーのオーナー・中内功さんと、その息子の正さんらと極秘に会った際、その場で監督を引き受けたそうで、

(中内さんからは、一言、「勝てるチームにしてください」と言われたそうです)

1994年10月12日には、監督就任会見を開き、

自分の体験を若い人に伝えたい。ユニホームを着てしか伝えられないことがある

と、語ったのでした。

(この突然の展開に、王さんの家族や周囲はびっくりしたそうですが、実は、誰よりも、王さん自身が一番驚いていたそうです)

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福岡ダイエーホークスからの監督オファーは巨人への思いを断ち切るには絶好のタイミングだった

ちなみに、王さんは、根本さんから、

ホークスで優勝してパ・リーグの雄となり、巨人の長嶋さんと日本一を争おうではないか。

と、言って口説かれたそうで、一見、夢物語のように感じたそうですが、

ホークスが、在京球団ではなく、本拠地が福岡のパ・リーグの球団であり、地理的にも心理的にも巨人から最も遠かったことや、

この少し前に、長嶋茂雄さんが巨人の監督に復帰しており、「もう(監督を)やらなくていい」と言われた身である王さんには、巨人監督復帰の目処が完全に絶たれたことから、「生涯巨人」の思いを断ち、心機一転を図るには、絶好のタイミングだったこと、

そして、何よりも、瀬戸山さんと何度も会っているうち、王さん自身、もう一度あのゾクゾクする勝負の世界に身を置きたい、という気持ちが抑えられなくなったそうで、

王さんは、著書「もっと遠くへ 私の履歴書(日本経済新聞出版)」で、

私は評論家という仕事を潔(いさぎよ)しとしない、と書いた。解説はしょせん、他人のやっていること、自分では責任を負えないことに理屈をつける仕事だ。

講演をするといってもそれは過ぎ去った昔の話だ。私の性分にそれは合わない。野球の現場に身を置くということは「今」を生きるということ、どうなるかわからない未来にチャレンジするということだ。

ユニホームを着ていれば勝つこともあるし、負けることもある。楽しいことばかりではなく、悔しいことの方が多いかもしれないが、少なくとも自分で責任を負い、自分で勝負できるのだ。そこにしか私の生きる道はないと思った

と、綴っています。

「王貞治のダイエー監督1年目は大型補強も5位に終わっていた!」に続く


もっと遠くへ 私の履歴書(日本経済新聞出版)

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