1998年オフには、それまでほとんど付き合いのなかった尾花高夫さんを口説き落とし、投手コーチに据えたことで、投手陣の整備にも成功したという、王貞治(おう さだはる)さんですが、実は、1999年1月、球団社長に就任したばかりの根本陸夫さんが、就任早々、コーチ会議で、王さんのことを「ラーメン屋のせがれ」と言ったことで、王さんとコーチ&選手の溝が埋まり、チームに一体感が出るようになったといいます。

「王貞治はダイエー監督5年目のとき尾花高夫にオファーしていた!」からの続き

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永井智浩、星野順治、若田部健一ら先発も見違える投手陣となっていた

1999年には、先発要員として獲得していたロドニー・ペドラザ投手を、投手コーチの尾花高夫さんの提案で、クローザー(抑え投手)として起用し、見事、ハマると、クローザーが安定したことで、前年、勝ち星のなかった、永井智浩投手、 星野順治投手、若田部健一投手で、合計30勝も稼ぐなど、先発が安定し、

中継ぎで60試合に登板した篠原貴行投手は、「登板すると必ずひっくり返す(逆転する)」という神話が生まれ、14勝1敗、防御率1.25の成績を収めます。

根本陸夫の「ラーメン屋のせがれ」の一言でコーチや選手との溝が埋まっていた

また、実は、1999年1月には、村上弘球団社長が退任し、根本陸夫さんが球団社長に就任しているのですが、

根本さんは、就任早々、王さんと首脳陣が顔を揃えたコーチ会議で、なんと、

コーチ連中に言っとくけど、お前ら、監督に遠慮しすぎなんだよ。『世界の王』だと思って接しているからそうなるんだ。この王くんは、ラーメン屋のせがれなんだよ

と、言い放ったそうですが、

(王さんの両親は東京で中華料理店を経営していました)

王さんも、

選手というのは想像以上に俺の顔色をうかがっている。だから俺もあまり難しい顔をせず、選手が失敗を恐れず、のびのびできるようにしたい

と、選手に歩み寄る発言をしたそうで、

それがチームに好影響をもたらし、王さんとコーチ、そして、王さんと選手の溝も埋まり、チームに一体感が生まれたのだそうです。

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二軍内野守備コーチ・森脇浩司は根本陸夫の「ラーメン屋のせがれ」発言に衝撃を受けていた

ちなみに、当時、ダイエーで二軍内野守備コーチを務めていた森脇浩司さんは、根本さんの「ラーメン屋のせがれ」発言に衝撃を受けたそうで、

(根本さんが「王くん」と言ったことにも度肝を抜かれたそうです)

根本さんから王さんには、事前に『オレが会議でこういう風に言うから』と話をされていたかもしれません。後から考えてみて、それが根本さんのやり方じゃないかと思ったんです。

いずれにしても、僕自身まだ30代の時に、そういうふたりの方にご縁をいただきました。これは自分の人生にとって本当に大きなことでしたし、大きな財産になりました

と、語っています。

「王貞治は1999年ダイエーホークス監督で初の日本一になっていた!」に続く

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