新しく球団社長に就任した根本陸夫さんの「ラーメン屋のせがれ」という一言で、遠慮していた選手やコーチとの溝が埋まり、チームに一体感が生まれるようになったと感じたという、王貞治(おう さだはる)さんは、1999年、ついに、ダイエーホークスをリーグ優勝に導くと、日本シリーズでも中日を下し、念願の日本一を果たします。
「王貞治は根本陸夫に監督時代「ラーメン屋のせがれ」と言われていた?」からの続き
マジック1で迎えた日本ハム戦では逆転満塁ホームランを打たれるも・・・
1999年9月25日、王さん率いるダイエーホークスは、マジック2で本拠地・福岡ドームに日本ハムを迎えると、ナイターである日本ハム戦の前に、マジック対象の西武がデーゲームで敗れた情報が入り、マジック1となって試合が開始します。
すると、ダイエーは初回、いきなり、先頭打者の秋山幸二選手のホームランで先制すると、2アウトから城島健司選手のセーフティスクイズで、あっという間に2対0。
しかし、4回表には、ダイエー先発の若田部健一投手が、日本ハムのフランクリン選手から、まさかの満塁ホームランを打たれて、2対4と逆転されてしまいます。
1999年ついにダイエーホークス監督でリーグ優勝
それでも、5回裏には城島選手のタイムリーで1点差(3対4)、7回裏には小久保裕紀選手のホームランで同点に追いつくと(4対4)、8回裏には、井口忠仁選手が特大ホームランを打ち、ついに5対4と逆転。
そして、8回と9回1死まで、不敗神話の篠原貴行投手が0点で抑え、9回1死から登板した守護神のロドニー・ペドラザ投手が最後のバッターである代打の藤島誠剛選手を三振に斬ってとると、球場は総立ちの大歓声。
ついに、王さんは、巨人の監督を辞めてから実に11年、あの生卵事件から3年で、初のリーグ優勝を果たしたのでした。
ちなみに、王さんは、
胴上げされているときはこの宇宙で一人だけと思い、最高の気分でした
と、喜びを語っています。
1999年、リーグ優勝し胴上げされる王さん。
1999年には監督として初の日本一も達成
そして、王ダイエーは日本シリーズでもそのままの勢いで中日を制し、王さんは、1981年の(巨人)監督初就任から実に18年の月日を経て、ついに監督として初めて日本一を果たしたのでした。
(ダイエーとしても初の日本一。南海時代から数えると35年ぶりの日本一)
ちなみに、王さんは、著書「もっと遠くへ 私の履歴書(日本経済新聞出版)」で、
私としても日本一は初めてだったが、世話になった方々にやっと恩返しできたとの思いでいっぱいだった。この年の四月、根本陸夫さんが亡くなっていた。
九州の球団として〝地元〟の宮崎市に十二球団一とも思われるキャンプ地を設け、常勝ホークスの礎を築いてくれた人。そして私に福岡行きを決断させてくれた人。そんな恩人に報いることができた。選手たちも勝って初めて、プロの厳しさと喜びを知ったと思う。
とにかく選手に一度優勝の感激を味わってほしかった。その味を知ることで、選手はより厳しい練習にも耐えられるようになり、成長を続けるものだからだ。成功体験がいかに大事か、誰よりもこの身で体験していた。
と、綴っています。