1998年には、小久保裕紀選手、井口忠仁選手、松中信彦選手、城島健司選手らの活躍のほか、巨人時代からの仲間である黒江透修助監督兼バッティングコーチの加入により、21年ぶりのAクラス(オリックスと同率の3位)になった、王貞治(おう さだはる)さんは、今度は、投手陣強化のため、ほとんど付き合いのなかった尾花高夫さんに自ら電話をかけ、投手コーチに招聘すると、チームはさらなるパワーアップに成功したといいます。

「王貞治はダイエー監督時代自ら城島健司を口説いていた!」からの続き

Sponsored Link

尾花高夫に自ら電話で投手コーチのオファーを出していた

王さんは、1998年には、21年ぶりのAクラス(オリックス・ブルーウェーブと同率で3位)になるのですが、投手陣にはまだ問題があったことから、シーズンが終わると、以前から、目をつけていた尾花高夫さんに、自ら電話で投手コーチのオファーをしたそうです。

ただ、尾花さんとはほとんど付き合いがなかったことから、王さんが尾花さんに電話し、

王ですが

と、言うと、

尾花さんは、間違い電話だと思い、

どちらにおかけですか

と、言ったそうで、

王さんは、

ホークスの監督をしている王貞治です

と、答えるところから始まり、ぎこちないやりとりの末、なんとか、尾花さんに投手コーチとして来てもらうことに成功したのだそうです。

(王さんは、以前から、尾花さんが野村克也監督のもと、ヤクルトで投手の再生に手腕を発揮していることに目をつけていたそうですが、そんな尾花さんがヤクルトの投手コーチを辞めたばかりのタイミングだったそうです)

尾花高夫は気骨のある投手コーチだった

すると、尾花さんは、王さんが見込んだ通り、見事、投手陣を再編してくれたそうですが、「監督のイエスマンであるなら自分は要らない」という考えを持っていて、率直に意見を言ってくれる骨のあるコーチだったそうで、

1999年の開幕戦の西武戦では、監督室に来て、

監督、今日は何対何で勝つおつもりですか

と、聞いてきたことから、

王さんは、「今、ここでそんなことを聞いてどうする?」と、一瞬考え込んだそうですが、

尾花さんは、

監督のゲームプランの想定のもとに投手陣を用意します

と、答えたそうで、

王さんは、任せて間違いないと思ったのだそうです。

Sponsored Link

ロドニー・ペドラザのクローザー起用は尾花高夫の推薦によるものだった

また、尾花さんは、先発が足りずに補強したロドニー・ペドラザ投手をクローザー(抑え投手)として起用することを提案してきたそうで、

既に一本立ちしていた捕手の城島健司さんに聞くと、「案外制球がいいから、いけるんじゃないですか」と、言ったことから、クローザーで使ったところ、これが大当たりだったそうで、ペドラザ投手は、躍進の立役者となり、投手陣に太い骨格を与えてくれたのだそうです。

(ペドラザ投手は、1999年、48試合登板で、3勝1敗27セーブ、防御率1.98という素晴らしい成績を残すと、翌年、翌々年には2年連続セーブ王となっています)

「王貞治は根本陸夫に監督時代「ラーメン屋のせがれ」と言われていた?」に続く


尾花高夫投手コーチ(左)と王さん(右)。(平成11年5月)

Sponsored Link