野球でメキメキと頭角を現しながらも、この時はまだ、野球選手になろうとは思っておらず、電気や機械技師になるために、高校に入って勉強に励もうと思っていたという、王貞治(おう さだはる)さんですが、志望校の受験に失敗したことから、もとより、スカウトされていた強豪校の中で、一番早く声をかけてくれていた、早稲田実業高校に進学することにしたといいます。

「王貞治が中学生の時は父親の意向で技師になろうと考えていた!」からの続き

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技師になるため進学校・都立墨田川高校を受験するも不合格だった

中学生の時、お父さんの意向で、電気や機械技師を目指していたという王さんは、高校は、東京大学への進学率が高く、地元で一番偏差値の高い、都立両国高校への受験を考えていたそうですが、担任の先生に、少し危ないと言われ、同じく進学校である都立墨田川高校を二人の友達と受験したそうです。

しかし、合格ラインギリギリと思われた友達一人だけが合格し、余裕で合格するだろうと思われていた王さんともう一人の友達は不合格となってしまったそうで、王さんは、大きなショックを受けたといいます。

(人生初の敗北であり挫折だったそうです)

一番早くスカウトしてくれた早稲田実業高校に進学を決定

ただ、王さんは、当時、中学生離れしたサウスポーとして名が知られていたことから、早稲田実業高校のほか、明治高校、日本大学第三高校(日大三高)ほか、強豪校からスカウトされていたそうで、

王さんは、各校の中で一番早く声をかけてくれた早稲田実業高校に恩義を感じ、早稲田実業高校に進学することにしたのだそうです。

(王さんの人生の節目節目の決断の基準は、「人に不義理をしてはいけない」というお父さんの教えだったそうです)

早稲田実業高校に決めた別の2つの理由

ちなみに、王さんが早稲田実業高校に進学することを決めたのは、一番早く声をかけてくれて恩義を感じたことだけではなく、

  • 中学2年生の時に出会い、左打ちを勧めてくれた荒川博さんの母校だったということ
  • 早実の練習に参加した際、宮井勝成監督や久保田高行総監督に見初められていたこと

という、別の2つの理由もあったそうで、「早実(早稲田実業高校)とは、見えない糸で結ばれている」と、早稲田実業高校に進学することにしたのだそうです。

(隅田川を挟んで押上の対岸にある日本橋人形町でスポーツ用品店を営む平松さんという人が、商売柄、下町一帯の野球少年の情報に詳しく、息子さんが早実に通っていたこともあり、見込みのある中学生を早実に紹介していたそうで、王さんは、その平松さんの案内で、同じ本所中学の小畑勝義さんと二人で早実の練習に参加したことがあったそうです。また、後にクリーン・アップを組むことになる王さんの一年上の内山巌選手も、平松さんのつてで早実に入っていたそうです)

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父親の反対に遭うも兄が味方になってくれ早稲田実業高校に進学できていた

とはいえ、王さんに、立派な技術者になって欲しいと願っていたお父さんは、王さんが野球のために早実に進学することに反対。

(お父さんは、もともと、野球のルールを知らず、あんな遊びのどこが面白いのだろうと思っていたそうですが、お兄さんが野球部の練習で足を骨折し、ひと夏、寝たきりになったことがあり、さらに、野球嫌いに拍車がかかっていたそうです)

ただ、お兄さんが、

王家にも一人くらい毛色の変わったのがいてもいいじゃないか

と、お父さんを説得してくれたそうで、

最終的には、早実への進学を許してくれたのだそうです。

(とはいえ、お父さんは、王さんが出場する試合をこっそり見に行っていたそうで、「中華五十番のせがれは野球が凄いらしい」という噂を聞いては、喜んでいたそうです)

「王貞治は早実野球部では入部10日でレギュラーとなっていた!」に続く

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