進学校への受験に失敗したことから、いち早くスカウトしてくれていた早稲田実業高校へ進学した、王貞治(おう さだはる)さんは、野球部に入部すると、わずか10日でレギュラーに起用され、1年生にして、3年生のバッティングのお手本とされたといいます。

「王貞治が早稲田実業高校に進学した理由とは?」からの続き

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早稲田実業高校野球部に入部するも先輩には難癖をつけて殴られていた

早稲田実業高校に進学し、野球部に入部した王さんは、他の1年生と共に球拾いをさせられたそうですが、練習後に球の数が合わないと、先輩に殴られたそうで、

1年生は、予備の球を隠しておくなど、知恵をつけて対抗したそうですが、(仮に完璧に雑務をこなしても)なんだかんだと難癖をつけて殴られたそうで、100人ほどいた新入部員は、このような理不尽な暴力に耐えかね、すぐ半分にまで減ったそうです。

(また、1年生には、縫い目がほつれた球を補修するという仕事があったそうですが、これは、家でお姉さんが手伝ってくれたほか、お姉さんは、肩を冷やさないようにと肩当ても作ってくれたそうです)

入部して10日目でレギュラーとなり1年生ながら3年生のバッティングのお手本にされていた

ただ、王さんは、入部して10日ほど経った頃、宮井勝成監督に「投げてみろ」「打ってみろ」と言われたそうで、投球と打撃をやると、(自分自身ではよくできたのかどうか分からなかったそうですが)合格となり、レギュラーとなったそうです。

(背番号は2番手投手の意味がある「10」だったそうです)

すると、(王さんはこの時は知らなかったそうですが)1年生の王さんが打撃練習をしている時には、久保田高行総監督が、当時、3年生だった徳武定之さん(後に国鉄スワローズ(現・ヤクルト))と醍醐猛夫さん(後に毎日オリオンズ(現・ロッテ))を呼び、

おまえら、王のバッティングをよく見とけ

と、王さんのバッティングをお手本にするよう言っていたそうで、王さんのバッティングはこの時からずば抜けていたようです。

そんな王さんは、投手としても、すんなり硬式球に適応できたそうで、硬式球は軟式球よりも重いため、最初は50球を過ぎると、球の重量感を感じたそうですが、毎日200球以上も投げ込むうちに、すっかり慣れたそうです。

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就寝は毎晩午後11時を回るも苦にはならなかった

ちなみに、王さんは、実家のある墨田区・押上から上野広小路まで行き、そこから、都電「39番」に乗り換えて、早稲田実業高校へ通い、授業が終わると、高田馬場に出て、西武線で早実野球部の練習グランドがある武蔵関に移動し、練習していたそうで、

練習を終え、高田馬場から山手線で上野まで行き、そこから都電で家に帰って、ご飯を食べ、お風呂に入り終えた頃には、午後11時を回っていたそうですが、少しも辛いとは思わなかったそうです。

「王貞治は高1の時に日大三高の強力打線を完封していた!」に続く

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