2005年1月、ソフトバンクがダイエーからホークスを買い取ると、ダイエーホークスの監督だった、王貞治(おう さだはる)さんは、引き続き、ソフトバンクホークスの監督(兼ソフトバンク取締役副社長兼GM)を務めているのですが、2005年10月10日には、「第1回 ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)日本代表チーム監督にも就任しています。

「王貞治はダイエー監督時代2年連続勝率1位で優勝を逃していた!」からの続き

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当初はWBC日本代表チーム監督の要請を固辞していた

王さんは、2005年10月10日、翌2006年3月開催の「第1回 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」日本代表チーム監督に就任しているのですが、

実は、王さんは、代表監督を要請された当初は、大会自体が海のものとも山のものとも分からず、ホークスを預かる現役監督の身では無理だと判断し、代表監督を固辞していたといいます。

世界を舞台に戦っている孫正義の一言でWBC日本代表チーム監督を引き受けていた

しかし、2005年1月からホークスのオーナーとなっていた、(世界を舞台に戦っている)孫正義氏から、

野球も世界一を競ってこそでしょう

と言われ、

王さんも腹を決め、WBC代表監督を引き受けたのだそうです。

日本代表選手の招集は無理強いしなかった

そんな王さんは、日本代表にふさわしい選手として、イチロー選手(シアトル・マリナーズ)、松坂大輔投手(西武)、藤川球児投手(阪神)らを招集しているのですが、

WBCが、メジャー、日本、ともに、公式戦開幕直前であることを考慮し、無理に招集はしなかったといいます。

(実際、参加に積極的な選手もいれば、消極的な選手もいたそうです)

松井秀喜(ヤンキース)も本当は参加したかった

ちなみに、当時、ニューヨーク・ヤンキースに在籍していた松井秀喜選手は、オーナーのジョージ・スタインブレナー氏が選手をメジャーの公式戦に集中させたい意向だったことから、参加が叶わなかったのですが、

松井選手からは、王さんに、「本当は出たい」という、辛い胸の内がしたためられた手紙が届いていたといいます。

(シカゴ・ホワイトソックスに在籍していた井口資仁選手の参加も叶いませんでした)

ミーティングで選手たちのモヤモヤした気持ちを一掃していた

さておき、王さんは、コーチ、選手、スタッフを集めた最初のミーティングで、きっぱり、

自分から『日の丸をつけたい』と言って集まってくれた選手が、ベストの日本代表なんだ

と、言ったそうですが、

このことにより、(誰もが代表チームの重みを測りかねる中)現場に漂っていたモヤモヤ感が一掃され、結束力が高まったそうです。

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イチローのリーダーシップを心強く感じていた

また、イチロー選手のリーダーシップがとても心強かったそうで、王さんたちが練習日に球場につくと、アメリカに拠点を置き、チームとは別行動をしていたはずのイチロー選手が、すでにガンガン打ち込んでいたほか、

クローザー(抑え投手)を務めた大塚晶則(晶文)さんから、

(イチロー選手が)メジャーの選手もたいしたことないよ

と、投手陣を鼓舞していたことを聞いたそうで、

王さんは、著書「もっと遠くへ 私の履歴書(日本経済新聞出版)」で、

「日の丸をつけて勝つんだ」というイチローの熱い思いに触れ、私は「もう少し個人主義の選手と思っていたが」と漏らしていた。孤高の安打製造機という印象もあったけれど、彼こそが一番勝利に飢え、燃えることができるものを求めていたのだ。

と、綴っています。

「王貞治はWBC2次リーグ米戦で球審に勝ち越しを取り消されていた!」に続く


もっと遠くへ 私の履歴書(日本経済新聞出版)

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