1991年、ドラフト4位でオリックスに入団すると、入団3年目の1994年には、当時のNPB年間最多記録の210安打を放つほか、1994年から2000年まで7年連続首位打者(NPB史上初)という凄まじい記録を打ち立てたイチローさんですが、赤ちゃんの時は、「幽門狭窄」で母乳を一度にたくさん飲むことができなかったといいます。

今回は、そんなイチローさんの誕生時から赤ん坊の時のことをご紹介します。また、イチローさんが次男なのに「一朗」である理由も合わせてご紹介します。

イチロー

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イチローの年齢は?出身は?身長は?

イチローさんは、1973年10月22日生まれ、
愛知県西春日井郡豊山町の出身、

身長180.3センチ、
体重79.4キロ、

靴のサイズは28センチ、

血液型はB型、

学歴は、
伊勢山保育園
⇒豊山町立豊山小学校
⇒豊山町立豊山中学校
⇒愛工大名電高校スポーツコース(現在は愛知工業大学附属名電高校)卒業

趣味は、ゲーム(ドラゴンクエスト)だそうです。

イチローの本名は「鈴木一朗」も長男ではなく次男!名前の由来は?

イチローさんの本名は、鈴木一朗(すずき いちろう)ですが、お父さんが、おじいさんの名前「銀一」から「一」の字を取って名付けたそうです。

「一朗」という名前から長男だと思われることが多いそうですが(イチローさんは次男)、お父さんとしては、生まれた時から兄弟に一、二と差をつけたくなかったことや、

大好きだったお父さん(イチローさんの祖父)の名前から取った一字を2人の息子に同じようにつけてあげたかったのだそうです。(イチローさんのお兄さんは一泰さん)

そして、「朗」の方はというと、イチローさんが誕生した時、お父さんは、サラリーマンを辞め、独立して始めた仕事が順調に軌道に乗り始めた頃だったことから、

商売をやっていくには、まず第一に朗らかでなければいけない

という思いから、「一朗」と名付けたのだそうです。

イチローは誕生時、女の子のようにかわいい赤ん坊だった

イチローさんは、電気部品の町工場を経営する父・宣之(のぶゆき)さんと母・淑江(よしえ)さんの間に、2人兄弟の次男として、予定日より8日遅れで誕生したそうですが、

すでにまつ毛がきれいに生え揃い、やさしい顔立ちの赤ちゃんだったそうで

おばあちゃんには、

この子が女の子だったら、どんなにべっぴんさんだったか

と、言われたといいます。

イチローは誕生時、大きな赤ん坊だった(体重4289グラム、身長55センチ)

また、イチローさんは、生まれた時は、体重4289グラム、身長55センチもある、とても大きな赤ちゃんだったそうで、お父さんの宣之さんは、健康で元気な赤ちゃんだったことに、とにかくほっとしたそうです。

というのも、お父さんの宣之さんは、イチローさんが生まれる2年前(1971年)、肺結核で入院を余儀なくされ、約1年間、療養生活を送っていたそうで、

そんなことがあった後にできた子供だったため不安だったそうで、男の子でも女の子でも健康な子であればいいと、ただ、それだけを祈っていたのだそうです。

(宣之さんは、サラリーマンを辞め、独立して間もない時期で、張り切りすぎていたことと、若さを過信していたことから、毎日、午前1時、2時まで仕事をしていたことがたたって体を壊してしまったのだそうです。ただ、その後は、仕事は順調で、イチローさんが生まれた頃は、贅沢とまではいかないものの、それなりに余裕のある暮らしができるようになっていたそうです)

イチローは赤ちゃんの頃、「幽門狭窄」で一度にたくさんの母乳を飲むことがきなかった

ただ、イチローさんは、赤ちゃんの頃、十二指腸につながる胃の「幽門」が極端に狭い「幽門狭窄(ゆうもんきょうさく)」という体質だったそうで、

一度にたくさんの母乳を飲むことができず、痙攣(けいれん)を起こしては飲んだものを吐いていていたそうで、お母さんは、何回にも分けてお乳を与えていたそうですが、イチローさんは飲んでは吐き、飲んでは吐きの繰り返しだったのだそうです。

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イチローは両親と同居の祖父母からかわいがられ、すくすくと育っていた

それでも、イチローさんは、同居していた(父方の)おじいちゃんとおばあちゃんに、子守や散歩はもちろんのこと、お風呂にも入れてもらうなど、とてもかわいがられたほか、

お父さんとお母さんからも、お兄さんと5歳年が離れていたこともあり、(一人っ子のような感覚で)あふれんばかりの愛情を浴びながら、すくすくと元気に育ったそうです。

「イチローは右利きも幼い頃から左打ちを父親から教えられていた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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