赤ちゃんの頃は、「幽門狭窄(ゆうもんきょうさく)」でお母さんのお乳を一度にたくさん飲むことができず、痙攣(けいれん)を起こしては吐き、飲んでは吐きの繰り返しだったというイチローさんですが、その後は、元気で腕白な男の子に育ったそうで、

2~3歳の頃には、お父さんにプラスチックのバットとボールを買ってもらって野球を始めると、早くも、お父さんからは、将来有利だからと、左打ちを教わっていたといいます。

「イチローは赤ん坊時は幽門狭窄で母乳を一度にたくさん飲むことがきなかった!」

少年時代のイチロー

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イチローが幼い頃は腕白で活発な男の子だった

赤ちゃんの頃は、十二指腸につながる胃の「幽門」が極端に狭い「幽門狭窄(ゆうもんきょうさく)」で、お母さんのお乳を一度にたくさん飲むことができず、飲んでは痙攣(けいれん)を起こして吐き、また、飲んでは吐きの繰り返しだったというイチローさんですが、

やがて、近所でも有名な腕白(わんぱく)で活発な男の子に育ったそうで、田んぼや原っぱを駆け回っては、擦り傷や切り傷を作り、全身泥だらけになって家に帰ることがしょっちゅうあったほか、

家の中でも、お兄さんと追いかけっこやキャッチボールをしたり、タンスの引き出しを全部出して、階段のようにしてスルスルと一番上まで上がっていったかと思うと、いきなり飛び降りる、という遊びをよくやっていたそうです。

また、幼い頃から、頑固で自己主張が激しく、特に、食べ物の好き嫌いがはっきりした子供だったそうです。

(お父さんは、子育てについて、「男の子は男の子らしく(腕白なくらいが頼もしくてちょうどいい)」「自由に伸び伸びと育てる」という考えだったことから、「あれをやってはダメ、これをやってはダメ」と子どもたちを頭から押さえつけたり、締め付けるようなことは一切せず、ことあるごとに、イチローさんに、「元気いっぱい暴れまわりなさい。他人に迷惑をかけなければ、家の中ではどんなに飛び回ってもかまわないからね」と言っていたのだそうです)

イチローは3歳の時に父親にプラスチック製のバットとボールを買い与えられ野球を始めていた

また、イチローさんは、2~3歳の頃には、夕食後に、お父さんの膝の上に座って、お父さんと一緒にテレビの野球中継を見ることが日課になっていたそうですが、

(とはいえ、まだ幼な過ぎて野球を見ているという感覚ではなく、野球中継を熱心に見ているお父さんのお付き合いをしていただけだったそうです)

イチローさんが3歳のある日、いつものように、お父さんと二人で野球中継を見ていると、

お父さんから

一朗にもバットとグローブを買ってあげよう

と、言われ、

間もなく、お父さんがおもちゃ屋さんでプラスチック製のバットとボールを買ってきてくれたのだそうです。

(家にはすでにお兄さんのバットもボールもグローブもあったそうですが、お父さんは、3歳の子供に小学生のお兄ちゃんの遊具は重すぎて、危険だと思ったのだそうです)

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イチローは右利きも3歳の時から父親に左打ちを教えられていた

それからというもの、イチローさんは、気が向くと、お父さんに買ってもらったプラスチックのバットとボールで遊ぶようになったそうで、

昼間は、小学3年生のお兄ちゃんに野球の相手をしてもらい、夕方、お父さんが工場から帰ってくると、外は暗いため、家の中で、お父さんとおもちゃのボールでキャッチボールをしたり、テレビ画面の中の選手になりきって、プラスチックのバットを一生懸命振り回したそうですが、

お父さんからは、(一塁ベースに近いため)有利だからと、右利きだったにもかかわらず、早くも左打ちを教えられたといいます。

(お父さんは、プロ野球選手の左打ちには、それまで、川上哲治選手、大下弘選手、王貞治選手、張本勲選手、掛布雅之選手など素晴らしいバッターが多かったことから、イチローさんが野球を続けていくうえで、参考にするべき良いお手本がたくさんいるとも考えたそうです)

「イチローは幼少期から好き嫌いが激しく嫌いな物は絶対食べなかった!」に続く

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