戦後、日本がまだ貧しかった時代にも、お父さんが中華料理店を営んでいたことから、食べ物に困らず、しっかり食べて、すくすく育ったという、王貞治(おう さだはる)さんは、小学生の頃には野球に夢中になったといいます。

「王貞治の少年時代は父親の作る炒飯が大好物だった!」からの続き

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小学生の頃から野球に夢中だった

幼い頃は、病弱で両親を随分と心配させたという王さんですが、小学校に上がる頃には、すっかり元気になったそうで、小学校では、いたずら好きで、よく先生を困らせるなど、わんぱくな男の子に成長したそうです。

(それでも、硬派だったため、女の子をいじめるようなことは一切しなかったそうです)

また、友達とよく相撲をとったそうですが、一番夢中になった遊びは、境内や路地裏でやる野球だったそうで、

(草野球だったため、打順は決まっておらず、 打ったボールを捕った者が次に打てるという簡単なルールだったそうです)

集まる人数によっては三角ベースにしたり、一人の時は、近くの春慶寺というお寺の壁にボールを当てて遊んだそうです。

野球のボールを追いかけて転び上の前歯を欠けさせていた

そんな王さんは、ボールを夢中で追いかけるあまり、転んで、ひどく顔面を打ちつけ、口元が大きく腫れて、上の前歯が欠けてしまったことがあったそうですが、後にプロ野球選手になって有名になってからも治療せずにそのままにしていたそうで、

人気商売としては見栄えが悪く、調子が悪い時には、人から「だから運気が悪いんだ」とよく言われたそうですが、

王さんは、欠けた前歯の治療をしなかった理由を、著書「もっと遠くへ 私の履歴書(日本経済新聞出版)」で、

(少々、意固地になっていた部分があるものの)子どものころからそれで過ごし、高校の早稲田実業、プロとそれなりの結果も出たからこれでいいのだ

せっかくうまくやってきているのだし、そこで何か手を加えて流れを変えることはよくない

と、綴っています。

(巨人の監督を辞めた後、ようやく治療したそうです)

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小学4年生の時に本格的に野球を始める

さておき、王さんが小学4年生の時には、お兄さんの鉄城さんが慶應義塾大学医学部の野球部に入っていたことから、千葉県の館山や福島の相馬中村などの合宿に連れて行ってくれたそうで、

このことをきっかけに、王さんは、クラスの仲間とチームを作り、本格的に野球を始めるようになったそうです。

(王さんは、懸垂もできず、腕相撲も弱かったそうですが、野球はうまく、投手で4番を打っていたそうです)

「王貞治は中学生の時から投手&4番打者として活躍していた!」に続く


もっと遠くへ 私の履歴書(日本経済新聞出版)

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