1980年11月4日、「王貞治としてのバッティングができなくなった」ことを理由に現役引退を発表した、王貞治(おう さだはる)さんですが、同時に、助監督就任も発表されています。しかし、実は、助監督就任は本意ではなかったといいます。

「王貞治の現役(プロ野球選手)時代の成績が凄すぎる!」からの続き

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新監督・藤田元司から選手兼助監督を要請され快諾していたが・・・

1980年10月21日、巨人の監督・長嶋茂雄さんが退陣し、新監督に藤田元司さんが就任することが発表されると、藤田さんは、コーチングスタッフの編成に当たり、「気心の知れた巨人OBで」との方針を打ち出し、10月25日、NHKで王さんと会談した際、王さんに助監督就任を要請します。

(藤田さんは、王さんに対して、選手兼任での助監督を構想していたそうです)

すると、王さんは、

22年間ユニフォームを着た巨人が新たなスタートを切ったのだから、いかに巨人を強くするか、協力させてもらいます

と、就任を快諾します。

(王さんは、10月22日、プロゴルファーのジャック・ニクラスさんとの対談の番組収録を終えた後の記者会見でも、「来季も現役でやりたいという気持ちは、現時点でいえば十分」と語っています)

突然の現役引退と助監督就任が発表される

こうして、王さんは、選手と助監督を兼任するものだと思われていたのですが・・・

11月4日には、突然、王さんの現役引退と助監督就任が発表されます。

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現役引退が認められる代わりに助監督に就任させられていた?

実は、王さんによると、引退の意思はシーズン中に固めており、長嶋さんにだけ打ち明けていたそうですが、そのことを知らなかった球団には、(王さんの引退は寝耳に水で)「ON(王さんと長嶋さん)が同時に消える」と慌てられ、様々な形で引き留められ、結果、何とか現役引退は認められたものの、助監督に就任することで折り合いがついたとのことで、

王さんは、

それは球団のためになったかもしれないが、私のためにはならなかった

と、語っており、「快諾」というわけではなかったようです。

(10月21日の長嶋監督辞任発表から11月4日の王さんの現役引退発表まで2週間もかかったのは、このためだったそうで、その間、王さんについては、「現役続行」ほか「長嶋さんの後を受けて監督になる藤田さんのもとで選手兼コーチになる」など、様々な報道が飛び交っています)

「王貞治は助監督を3年するも監督業には役に立たなかった?」に続く

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