既にスター選手だった長嶋茂雄さん、コーチの川上哲治さん、二軍監督の千葉茂さんらに、バッティングを高く評価され、入団一年目から130試合中94試合で一塁手として起用された、王貞治(おう さだはる)さんは、開幕から26打席無安打が続いたそうですが、1959年4月26日、国鉄スワローズとの6回戦で放った初安打は決勝2ランホームランだったといいます。
「王貞治は巨人入団直後から長嶋茂雄にバッティングを高く評価されていた!」からの続き
開幕戦の国鉄スワローズ戦ではエース・金田正一の前に3打席で2三振1四球だった
王さんは、入団一年目の、開幕前のオープン戦で、いきなり、5本の本塁打を放って注目を集めると、
(前年、長嶋茂雄さんがオープン戦で7本の本塁打を打ったと聞いて「自分もいける」と思ったそうです)
1959年4月11日、開幕戦の国鉄スワローズ(現・ヤクルト)戦では、7番一塁で先発出場するのですが・・・
- 1打席目は、カウント1-2から空振三振
- 2打席目は、ストレートの四球
- 3打席目は、三球三振
と、国鉄スワローズのエース・金田正一さんの球は一度もバットに当たらず、3打席で2三振を喫してしまいます。
開幕から26打席無安打だった
それでも、王さんは、前年には、ゴールデンルーキーだった長嶋茂雄さんでさえ、金田さんの前に4打席4三振に倒れていたことから、
金田さんには、長嶋さんでさえ、ああだったのだから、しょうがないや
と、楽天的に構えていたそうですが・・・
その後、王さんは、国鉄スワローズとの3戦目、プロ11打席目で、犠牲フライを放ち、初打点は記録したものの、以降、12試合ノーヒットで26打席無安打となってしまいます。
プロ初安打は決勝2ランホームランだった
しかし、同年4月26日、国鉄スワローズとの6回戦(ダブルヘッダー第2試合)、0対0で迎えた7回表二死一塁、村田元一投手の、ストライク1ボールからの4球目、内角低めのカーブをすくい上げた打球は、
ライトスタンド最前列に落ちる決勝2ランホームランとなったそうで、見事、プロ初安打をホームランで飾ったのでした。
国鉄・村田元一投手からプロ初安打となる2ランホームランを放ち、一塁走者の坂崎さんに迎えられ、ホームインする王さん。
我慢して使ってくれた水原茂監督に感謝していた
ちなみに、水原監督は、0対0で7回2死一塁というチャンスに、代打も考えたそうですが、得点圏(二塁及び三塁の総称)にランナーがいるわけではなかったため、そのまま、王さんを打席に立たせたそうで、
王さんは、著書「もっと遠くへ 私の履歴書(日本経済新聞出版)」で、
自分が監督だったら、あの時(開幕から26打席無安打)の王は使わない。我慢して使ってくれた水原さんに、父母は「おかげで今のおまえがあるんだよ」と、後々まで感謝していたものだ
と、綴っています。
「王貞治も天覧試合で同点2ランホームランを打っていた!」に続く