巨人入団を熱望していた元木大介さんを強行指名し獲得に失敗すると、古巣・阪神に申し込んだトレード話も土壇場で断られたという、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、その後、ようやく、中日の監督4年目となっていた旧友の星野仙一さん頼り、トレードを成立させるも、監督就任1年目は、ダントツの最下位に終わったといいます。

「田淵幸一はダイエー監督時代に阪神の大野久獲得にも失敗していた!」からの続き

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中日の監督だった旧友の星野仙一を頼ってようやくトレードを成立していた

ドラフト1位で指名した元木大介さんには入団を拒否され、古巣・阪神からもトレードを断られた田淵さんは、その後、中日の監督4年目となっていた旧友の星野仙一さんを頼って、中日にトレードを申し込むと、

ようやく、山内和宏投手、小早川幸二選手と、杉本正投手、高島覚投手、広橋公寿選手のトレードが成立するのですが・・・

監督就任1年目はダントツの最下位だった

1990年、田淵さんが開幕投手に指名していたエース・加藤伸一投手は、右肩関節周囲炎で沖縄・読谷キャンプ2日目で離脱となったそうで、

迎えた4月8日の開幕戦(近鉄戦)は、近鉄のエース・阿波野秀幸投手からトニー・バナザード選手や藤本博史選手の本塁打などで8点を奪うも、リードを守りきれず、8対9と逆転負けすると、

その後もずるずると負け続け、結局、監督就任1年目は、ダントツの最下位(41勝85敗4分)に終わってしまったのでした。

(順位のほか、チーム打率、本塁打、得点、失点、防御率も最下位で、85敗、勝率3割2分5厘は、2リーグ制以降ワースト記録だったそうです)

コーチ・選手共にうまくコミュニケーションが取れず溝ができていた

実は、田淵さんは、選手時代の打者としてのプライドから、コーチ陣の意見に聞く耳を持たず、選手ともコミュニケーションがうまくとれていなかったそうで、

早くも、竹之内雅史打撃コーチが田淵さんと意見が合わずに退団すると、中西邦之投手コーチはチームの不振で休養となり、トニー・バナザード選手やウィリー・アップショー選手など、気性の荒い外国人選手2人とも、田淵さんはうまくやることが出来なかったのだそうです。

(負けが込むと、イライラが増し、選手やコーチとの溝は深まるばかりだったようです)

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ダイエーが負けた時は選手を叩く記事を書いて欲しいと記者に依頼していた

ちなみに、産経新聞の田所龍一記者によると、

田淵さんは、1年目のシーズン中のある日のこと、記者を集めて、

みんな、もっと記事で選手を叩(たた)いてくれないか。試合に負けたときは特に厳しく書いてほしいんだ

と、注文を出したといいます。

というのも、

オレは甲子園のファンの強烈な野次(やじ)や新聞の厳しい記事で鍛えられた。何くそと反発したり、なるほどと勉強させられたり。マスコミの厳しい目がオレを育ててくれた。ウチの選手にもそれが必要だと思う

とのことだったそうですが、

田所記者が、

監督、僕たちもできればそんな厳しい記事を書きたい。でも、今のダイエーで誰が負け試合の記事を読むんですか。タイガースだから載るんです。タイガースだから厳しい記事が書けるんです。まず、負けても記事が載るチームにしないと

と、言うと、

田淵さんは、

そうか・・・タイガースだからか。阪神の選手は幸せだな

と、言ったそうで、

田所さんは、肩を落とした田淵さんの寂しそうな顔が今でも忘れられないとのことでした。

「田淵幸一はダイエー監督時代に広島のトレード要員をうっかり漏らしていた!」に続く

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