ダイエーホークスの監督就任後、最初のドラフト会議(1989年11月26日)では、担当スカウトの「獲れます」という力強い言葉を信じ、巨人入団を熱望していた、上宮高校の元木大介さんを1位指名した、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、元木さんには入団を断られ、その後、1990年のシーズン開幕前には、阪神の大野久選手獲得にも失敗してしまったといいます。

「田淵幸一はダイエー監督時代に元木大介をドラ1で指名するも・・・」からの続き

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元木大介をドラフト1位指名も入団拒否される

1989年11月26日のドラフト会議で、上宮高校の元木大介さんの交渉権を獲得すると、休憩時間には、早くも元木さんを口説き落としたかのように、満面の笑みを浮かべていた田淵さんですが、

元木さんの巨人を思う気持ちは想像以上に強く、

巨人が大森さんを指名したのは、自分に力がなかったからだと思う

と、ダイエー入団を拒否されてしまいます。

(田淵さんは、それでも元木さんを諦められず、「誠意あるのみ。どこへでも足を運びますよ」と直接出馬にも意欲を見せていたそうですが、フロントに、「新監督に恥をかかせるわけにはいかない」と止められ、実現しなかったそうです)

人脈がなかったことから自ら動いていた

そんな田淵さんは、1990年のシーズン開幕前、水面下でトレードを画策したそうですが、当時、球団には球界に人脈を持つ人材がおらず、フロント任せだったことから、

トレード話はうまく進まず、人脈のある黒田正宏ヘッドコーチとともに、田淵さん自身がトレードに動かなければならなかったそうです。

阪神の大野久を獲得しようとトレードを申し込むも・・・

そこで、田淵さんは、前年1989年シーズン後半に足を痛め、中村勝広監督の構想から外れていた、阪神の大野久選手を獲得しようと、直接、中村監督に電話でトレードを申し込むと、

(中村監督は、辞任した村山実さんの後任として、監督に就任したばかりでした)

中村監督も、

新しい働き場所があれば本人のためにもなる

と、大いに乗り気で、

トントン拍子で話が進むかと思われたのですが・・・

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大野久のトレードは村山実前監督を刺激することを理由に断られていた

土壇場になって中村監督は断ってきたそうで、

(大野選手は村山実前監督のお気に入りの選手だったことから、監督が交代したばかりの今は、村山さんを刺激することになると、球団の上層部に止められたのだそうです)

田淵さんは、思わず、カーッとなり、

お前は監督じゃないのか!

と、中村監督に怒鳴ったのだそうです。

「田淵幸一のダイエー監督1年目はダントツの最下位だった!」に続く

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