ルーキーイヤーの1954年には、レギュラーとして遊撃の座に就くと、15本塁打し、「新人王」に輝いた、広岡達朗(ひろおか たつろう)さんは、実は、巨人の主軸バッターとして君臨していた、川上哲治さんに、入団から引退までずっとイジメられ続けられていたといいますが、きっかけは、広岡さんが親しみを込めてかけた言葉が川上さんの神経を逆撫でしたことだったといいます。

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川上哲治に大好きだった長兄の面影を重ね憧憬を抱くようになっていった

広岡さんは、入団当初、兄弟の中で、一番大好きで、とてもかわいがってくれた長兄と偶然にも同い年だった川上哲治さんに、何かしらの縁を感じていたそうで、(お兄さんの包み込むような優しさを肌で覚えていたことから)川上さんへの距離を勝手に縮め、憧憬を抱くようになったそうですが、親しみを込めてかけた言葉が、その後の二人の関係を悪化させるものになったといいます。

(お兄さんは、戦争で他界されたそうです)

巨人軍に入団した当初、プロ入り14年目の4番打者・川上哲治が大黒柱として君臨していた

広岡さんが巨人軍に入団した頃、巨人軍はリーグ三連覇中で、名将と謳われる水原茂監督のもと、チームの大黒柱として、プロ入り14年目で、34歳のベテラン4番打者・川上哲治さんが君臨していたそうですが、

そのシーズン、川上さんは珍しく2割台後半をウロウロし、なかなか調子が上がらなかったそうで、遠征先の宿舎でも、調子を取り戻そうと一心に素振りをしていたそうです。

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川上哲治に親しみを込めて声をかけたつもりが逆上させることになっていた

すると、(旅館の構造から)大広間で川上さんが素振りをしている姿を2階から見た広岡さんは、何気なくその部屋に向かい、

(「シュッ! シュッ!」と風を切るバットの音が聞こえてきたそうです)

何も言わずにいきなり両手でふすまを開けると、

出入り口の襖の真正面にいて、すぐに気がついた川上さんは、挨拶もせずに、不躾にもふすまを開た広岡さんに怒りを滲ませながら、

なんだ、なにか用か?!

と、言ったそうです。

すると、広岡さんは、

カワさんも苦労してますね

と、それだけ言って帰ったそうで、このことに、人一倍プライドが高い川上さんは、サラッと流すことができず、「あの野郎~!」と頭に血を上らせたといいます。

(この時、広岡さんは、決して川上さんを愚弄したわけではなく、お兄さんと同い年の川上さんに親しみを持ってかけた言葉だったのですが、そんな事情を知らない川上さんには、「クソ生意気な新人」だとしか思えず、また、広岡さんが六大学出身というのも鼻についたのだそうです)

「広岡達朗は川上哲治の守備を下手クソと言っていた!」に続く

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