ダイエーホークスの監督に就任すると、戦力不足の中、1989年、最初のドラフトでは、スカウトに「絶対大丈夫」とお墨付きをもらっていたこともあり、巨人入りを熱望していた上宮高校の元木大介さんを1位指名した、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、運良く、元木さんの交渉権を獲得すると、早くも口説き落としたかのように、満面の笑みを浮かべていたのですが・・・
「田淵幸一がダイエー監督就任当初はトレード要員もいなかった!」からの続き
近鉄(仰木彬監督)が8球団競合の野茂英雄の交渉権を獲得
迎えた1989年11月26日、ドラフト会議当日、予想された通り、野茂英雄投手には、岡田彰布選手(早大・1979年)、清原和博選手(PL学園・1985年)の6球団を上回る、史上最多の8球団の指名が集まったそうで、抽選の結果、最後にくじを引いた近鉄の仰木彬監督が「交渉権」を獲得したそうです。
そして、続いて、ウェーバー制(最下位球団から順に選手を指名できるシステム)により、パ・リーグ最下位だったロッテが小宮山悟投手(早大)、セ・リーグ最下位だった大洋が佐々木主浩投手(東北福祉大)、パ・リーグ5位だった日本ハムが酒井光次郎投手(近大)、セ・リーグ5位だった阪神が葛西稔投手(法大)と、ここまで、全て、大学生投手が選ばれると、
いよいよ、田淵さん率いるダイエーの順番が回ってきます。
巨人入りを熱望していた元木大介を1位指名
そこで、田淵さんは、まだ、お目当ての元木さんが残っていったことから、迷いなく、(深夜の打ち合わせ通り)元木さんを指名したそうで、
(会場は大きくどよめき、巨人以外の球団からは「よくぞ指名した」という声もあがったそうです)
その後、全球団の1位指名が出揃い、休憩となると、
田淵さんは、
胸ドキドキ、ワクワク。最高だよ。正月が早く来たような気分。こんな華のある選手が残ってるなんて・・・
と、早くも口説き落としたかのように、満面の笑みを浮かべたそうです。
(田淵さんは、1968年、法政大学4年生の時、ドラフトでは、元木さんと同じように巨人入りを熱望しながら阪神に指名され、その後、水面下で巨人との三角トレードが画策されるも、巨人・沢田幸夫スカウトとの密会がバレてご破算となり、阪神に入団したという経緯があるのですが、1年目に22本塁打放ち、新人王に輝いたという、自身の経験や、何よりも、担当スカウトの「獲れます」という力強い言葉を信じていたのだそうです)
元木が入団を熱望していた巨人は慶大の大森剛を1位指名
そんな中、元木さんが入団を熱望していた巨人はというと、元木さんではなく、慶應義塾大学の大森剛さんを1位指名。
実は、大森選手は高3春の東京六大学リーグ戦で三冠王に輝いた左の強打者だったそうで、巨人は、3年生の時に1位指名を確約していたのだそうです。
(とはいえ、4年生になって評価が下がっており、この時点では2位指名でも獲れたはずだったそうですが)
「田淵幸一はダイエー監督時代に阪神の大野久獲得にも失敗していた!」に続く