1979年、ドラフト1位で阪神タイガースに入団すると、1985年には、3番ランディ・バース選手、4番掛布雅之選手に続きバックスクリーン3連発の締めを打つほか、このシーズンのリーグ優勝&日本一に貢献する活躍をし、現役引退後も、監督として、阪神タイガースをリーグ優勝に2回(2005年と2023年)導いた、岡田彰布(おかだ あきのぶ)さん。そんな岡田さんは、お父さんが阪神の有力後援者だったことから、幼い頃から、阪神タイガースの選手と交流できる環境で育ったといいます。
年齢は?出身は?身長は?
岡田さんは、1957年11月25日生まれ、
大阪府大阪市中央区玉造の出身、
身長175センチ、
体重77キロ、
血液型はA型、
学歴は、
私立朝陽ヶ丘幼稚園
⇒大阪市立愛日小学校
⇒明星中学校
⇒北陽高等学校(現・関西大学北陽高等学校)
⇒早稲田大学教育学部教育学科体育学専修(現・スポーツ科学部)卒業
趣味は、ジグソーパズル、将棋で、
将棋は、小学校低学年の頃からの趣味で、現役時代も、しばしば、ランディ・バース選手や川藤幸三選手と対戦していたそうです。(2008年1月24日に、日本将棋連盟からアマ三段の免状を授与されています)
本名は?愛称「どんでん」の由来は?
岡田彰布は本名ですが、愛称は「オカ」「どんでん」です。
「どんでん」は、かつて味の素が販売していた、うどんだし(現在は販売終了)の商品名なのですが、岡田さんは1998~1999年に関西地区だけで放送されていたこのCMに坂田利夫さんと出演していたことから、いつの間にかファンからは「どんでん」と呼ばれるようになっています。
(そのため、岡田さんの難解で独特の発言は、ファンから「どん語」「どんコメ」と言われています)
また、現役時代は、野村克也さんと藤山寛美さんを足して2で割ったような顔をしているということで、「ノムカン」とも呼ばれています。
座右の銘は「道一筋」
岡田さんの座右の銘は「道一筋」だそうで、2004年、初めて阪神監督に就任した時から、自らの監督人生を「道一筋」という言葉に託しているそうですが、
岡田さんは、その理由について、
村山(実)さんのサインが大阪の実家に飾ってあった。そこに『球道一筋』という文字が添えられていた。居間と言うんか、毎日見えるとこにあったから。子供のころからずっと、球道一筋という言葉が頭の中にあった
村山さんの言葉を使わせてもらった。そのままでは失礼なので、球を外して道一筋とした。球には王の字がある。監督となって最初から王という言葉を使うのはおこがましい。あくまで王の道を求めるという姿勢でいたい
と、語っています。
(岡田さんは、サインを求められると、必ず「道一筋」と書き加えるそうです)
実家(父親)が町工場で阪神タイガースの有力後援者だったことから幼い頃から阪神の選手と交流があった
そんな岡田さんは、大阪市中央区玉造で「大阪紙工所」という町工場を経営し、阪神の有力後援者だったお父さんの勇郎(いさお)さんとお母さんのサカヨさんのもと、一人っ子として誕生しているのですが、
お父さんが、二代目ミスタータイガースの村山実投手や藤本勝巳選手らと親交があったことから、幼い頃から阪神タイガースと縁深く育ち、幼稚園に入園後には、名三塁手の三宅秀史選手とキャッチボールをするほか、1962年、5歳の時、阪神タイガースがリーグ優勝し阪神間をパレードした際には、優勝パレードの車に乗せてもらい、中学時代には、引退試合に備える村山実投手のキャッチボールの相手を務めたこともあったそうです。
(また、阪神タイガースの若手が住まう寮「虎風荘」は遊び場だったそうです)
「岡田彰布は少年時代「リトル(南海)ホークス」で本格的に野球を始めていた!」に続く
幼い頃の岡田さん。