広島入団1年目の1969年オフに、関根潤三ヘッドコーチと広岡達朗内野守備コーチが就任し、厳しく鍛えられると、2年目の1970年は、自身も試合以外は素振りに明け暮れる毎日を送り、シーズンオフには、米アリゾナ州の教育リーグにも参加したという、山本浩二(やまもと こうじ)さんですが、3年目、4年目も、目を見張るような成績を上げることは出来ず、悔しい思いをしていたそうです。そんな中、4年目の1972年には、セ・リーグ記録の9打席連続安打を記録するのですが、(当時の)日本記録である10打席連続安打に届かず、悔しくてたまらなかったといいます。

9打席連続安打のリーグ新記録を達成し祝福される山本浩二

「山本浩二の広島入団2年目は野球漬けの日々を送っていた!」からの続き

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山本浩二は広島入団3年目、4年目も大きく飛躍することはできなかった

入団1年目は、120試合出場で、打率2割4分、12本塁打、40打点、入団2年目は、ほとんど3番で128試合に出場し、打率2割4分3厘、22本塁打、56打点と、すこし成績をアップさせた山本さんは、

3年目の1971年は、ほとんど5番で123試合に出場すると、打率2割5分1厘、10本塁打、52打点、4年目の1972年は、ほとんど1番で130試合にフル出場すると、2割5分8厘、25本塁打、66打点と、やはり、少しずつ成績を上げていきます。

山本浩二は入団4年目の1972年中日戦では9打席連続安打のセ・リーグ記録を樹立し、日本記録まであと1つと迫っていた

そんな山本さんは、1972年7月6日の中日戦で、第2打席から連続で4安打すると、移動日を挟んだ8日の巨人戦でも5打数5安打して、9打席連続安打(当時のセ・リーグ記録)を記録し、(当時の)日本記録である10打席連続安打(1954年に大映の坂本文次郎さんがマーク)まであと1と迫ったそうです。

ただ、梅雨の真っ最中だったことから、翌9日から雨が続き、6日間も足止めされたそうで(当時はドーム球場はありませんでした)、ようやく試合ができたのは、7月15日、北海道(函館)に遠征しての大洋(現・横浜)戦だったそうです。

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山本浩二は日本記録の10打席連続安打は届かないもダイヤモンドグラブ賞を獲得

そして、7月15日の試合当日、1番だった山本さんは、試合が始まってすぐに打席に立つと、山下律夫投手が投じた1ストライク1ボールからの3球目を完璧に捉えたそうですが・・・

(会心の手応えがあったことから、「行った」と確信したそうです)

レフトに上がった打球は強い逆風に押し戻されてしまい、フェンスいっぱいで重松省三さんのグラブに収まったそうで、

まさかの展開に、山本さんは、悔しくてたまらず、一塁を回ったところで、ヘルメットを地面に叩きつけてしまったのだそうです。

(共に「法政三羽烏」と呼ばれた同期の田淵幸一さんがプロ入り1年目から球宴に出場し続けていたのに対し、山本さんはいまだ1度も選ばれておらず、守備以外でやっと目立てると思っていた矢先のことだったそうです)

ちなみに、山本さんは、守備では高く評価され、この年(1972年)に創設されたダイヤモンドグラブ賞(現・ゴールデングラブ賞)を受賞し、以降10年連続で受賞しています。

「山本浩二はジョー・ルーツ監督のメジャー式がハマっていた!」に続く

9打席連続安打のリーグ新記録を達成し祝福される山本浩二
9打席連続安打のリーグ新記録を達成し祝福される山本浩二さん。(左から2人目が山本浩二さん。右隣は衣笠祥雄さん。)

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