プロ1年目の1969年は、120試合に出場して、打率2割4分、12本塁打、40打点で、規定打席にもギリギリ到達するも、大学とプロの違いを痛感し、このままではダメだと思ったという、山本浩二(やまもと こうじ)さんは、このオフと2年目の1970年は、野球漬けの日々を送ったといいます。

広島カープ入団2年目の山本浩二

「山本浩二の広島入団1年目の成績は?初本塁打は?デビュー戦は?」からの続き

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入団1年目の1969年オフには関根潤三ヘッドコーチと広岡達朗守備コーチが入団し厳しく鍛えられていた

広島入団1年目の1969年は、120試合に出場して、打率2割4分、12本塁打、40打点で、規定打席にもギリギリ到達するも、このままではダメだと思ったという山本さんですが、

この(1969年)オフ、一塁ベースコーチだった上田利治さんが退団すると、ヘッドコーチに関根潤三さん、内野守備コーチに広岡達朗さんが入団したそうで、

関根さんは、一見やさしそうに見えて、一生懸命やっているか手を抜いているかを見分ける鋭い目を持っていてニコニコしていても怖く、広岡さんは、妥協を許さない人で厳しく、ノックでミスすると「やめて帰れ!」と怒鳴られ、怖かったそうです。

(もちろん、根本陸夫監督も、べらんめえ調で凄味(すごみ)があって怖かったそうです)

根本陸夫監督と関根潤三打撃コーチと広岡達朗守備コーチ
(左から)根本陸夫監督、関根潤三打撃コーチ、広岡達朗守備コーチ。

バッティングマシンで1時間の打ちっぱなしをさせられるもこの練習でフォームを覚えていた

また、マシン打撃では、1時間の打ちっぱなしをさせられたそうで、後半になると力が入らなくなったそうですが、その状態でバットを振り続けることによって体が無駄な力の入らないフォームを覚えていったそうで、

(ただ、打ち終わった時には手がバットから離れなかったそうです)

山本さんは、この時のことを、スポニチの連載「我が道」で、

人間、怒られるのが嫌で頑張るところがある。やるのではなく、やらされる練習。なんでここまでやらなきゃいけないんだと思いながら、続けているうちにうまくなっている。結果が出て初めてその効果が分かるのだ。

同い年の衣笠祥雄、1つ違いの水谷、2つ違いの三村敏之・・・鉄は熱いうちに打て。関根さんは1年。広岡さんは2年で退団されたが、いいタイミングで良き指導者に巡り会えた。

と、綴っています。

我が道(山本浩二)
我が道

広島入団2年目は「法政三羽烏」の田淵幸一と富田勝が球宴に出場する中、自分だけ出場できず悔しい思いをしていた

そんな山本さんは、入団2年目の1970年は、ほとんど3番で128試合に出場し、打率2割4分3厘、22本塁打、56打点と、1年目(打率2割4分、12本塁打、40打点)よりは少し数字は上がるのですが、

(山本さんいわく、3番打者として胸が張れる成績ではなかったそうです)

この年には、法政大学の同期で、共に「法政三羽烏」と呼ばれた、阪神の田淵幸一さんと南海の富田勝さんが、球宴(オールスターゲーム)に出場したにもかかわらず、山本さんだけ出場できず、地元・広島市民球場で行われた第3戦のラジオ中継のゲストに出演していたそうで、とても悔しかったそうです。

入団2年目の1970年は野球漬けの日々を送っていた

それでも、この年(1970年)、山本さんは、ネオン街などには遊びに行かず、野球漬けの日々を送っていたそうで、本拠地の広島で試合が行われた日は、試合後、寮に帰宅して食事を済ませると、すぐに素振りをし、

遠征先で試合が行われた日は、球場でも鍛えられ、試合後、宿舎で食事を終えた後も、大広間に集合して、関根潤三ヘッドコーチの指示で素振りをしたそうです。

(ナイターの時は深夜0時頃まで素振りしたそうです)

先輩の山内一弘のバッティング指導は当初は理解できなかった

そして、素振り終了後には、先輩の山内一弘さんや山本一義さんから「部屋に来い」と声がかかったそうで、部屋を訪ねて行くと、

一義さんには、衣笠祥雄選手と一緒によくバッティング談義を聞かせてもらい、「打撃の職人」「シュート打ちの名人」と呼ばれた山内さんには、シュート打ちの極意を教わったそうです。

(山内さんの話は難しすぎてよく分からなかったそうで、数年後になって、ようやく理解できるようになったそうです)

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1970年オフには米アリゾナ州の教育リーグに参加

また、山本さんは、1970年シーズン終了後には、米アリゾナ州の教育リーグに、引率役の備前善夫コーチ、投手の大石弥太郎選手、白石静生選手、内野手の衣笠祥雄選手、三村敏之選手、外野手の山本一義選手と共に参加し、フェニックスを本拠地とするアストロズのチームに所属したそうで、

(内野手は大勢いて、衣笠さんや三村さんはそれほど出場することができなかったそうですが、外野手は2人しかいなかったそうで、山本さんは、幸運にも毎日試合に出ることができたそうです)

試合は毎日あってしんどいながら、スピード感やボールの違いなど、様々な収穫があったほか、厳しい生存競争を体験できたことが、とてもプラスになったそうです。

(みんなメジャーに上がろうと必死で、投手がどこに投げてくるか分からない怖さがあったそうです)

「山本浩二は9打席連続安打のセ・リーグ記録を樹立していた!」に続く

広島カープ入団2年目の山本浩二
広島カープ入団2年目の山本浩二さん。

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