お父さんが、二代目ミスタータイガースの村山実投手や藤本勝巳選手らと親交があったことから、名三塁手の三宅秀史選手とキャッチボールするほか、阪神タイガースがリーグ優勝し阪神間をパレードした際には、優勝パレードの車に乗せてもらったり、引退試合に備える村山実投手のキャッチボールの相手を務めたりと、幼い頃から阪神タイガースの選手と交流できたという、岡田彰布(おかだ あきのぶ)さんは、小学5年生の時、少年野球チーム「リトルホークス」に入団し、本格的に野球を始めたといいます。

「岡田彰布は幼少期から阪神タイガースの選手と交流があった!」からの続き

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幼い頃は自宅から一番遠い保育園に預けられていたが一切嫌な顔をしなかった

お父さんが阪神タイガースの有力後援者だったことから、幼い頃から阪神の選手たちと交流があったという岡田さんですが、

両親が共働きだったことから、自宅から一番遠い保育園に預けられていたそうですが(遠いと長く預かってもらえたことから)、お母さんのサカヨさんによると、岡田さんは、一切、嫌な顔をすることはなかったといいます。

小学4年生の夏に「ホークス子供の会」に入会

そんな岡田さんは、お父さんの影響で、幼い頃から阪神タイガースファンで、甲子園球場に阪神の試合を何度も観に連れて行ってもらっていたそうですが、当時、阪神には「子供の会」がなかったため、小学4年生の夏、南海の「ホークス子供の会」に入ったそうです。

(当時、「南海ホークス」は、野村克也氏や広瀬叔功氏らが在籍していてとても強かったそうです)

すると、岡田さんは、大阪球場での試合では、本塁打を放つ活躍をしたそうですが、

岡田さんは、大阪球場について、

(大阪球場は)スタンドが高くて、すり鉢状になっていたから、子供なりにすごく圧迫感があったなあ。球場内にあった五右衛門風呂にも入ったんよ

と、語っています。

(岡田さんがプロ野球が行われる球場で最初にプレーしたのが大阪球場だったそうです)

小学5年生の時に少年野球チーム「リトルホークス」に入団し本格的に野球を始める

そんな岡田さんは、小学5年生になると、少年野球チーム「リトルホークス」に入団し、本格的に野球を始めたそうで、土日は大阪球場でホークスのユニホームに着替えてから、堺市・中百舌鳥(なかもず)のグラウンドに練習に出かけていたそうですが、

岡田さんのお母さんのサカヨさんは、

私の顔を見つけて、本当にうれしそうな顔をするんです。そして、よく打つんです

と、語っています。


岡田さんの母・サカヨさん。(1997年11月、高知・安芸キャンプにて)

(サカヨさんは、岡田さんが幼い頃、家から一番遠い保育所に預けていたことを申し訳なく思い、その代わりに、週末の少年野球チームの試合はすべて見に行っていたそうです)

10歳の時には町内の大人の野球チームに誘われていた

また、岡田さんは、10歳の時には、町内の大人の野球チームに誘われたことがあり、「ピッチャーなら」という条件で応じたそうですが、

誘った大人たちが驚くほど、岡田さんはその頃から野球をよく知っていたそうで、野球をやりながら、なぜ打たれたのか、なぜ抑えられなかったんだろうと、ずっと考えているような子供だったそうです。

(お父さんが作った草野球チームに所属し、大人に混じって試合をしていたという話も)

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DeNAベイスターズの三浦大輔監督の父と幼少の頃から知り合いだった

ちなみに、DeNAベイスターズ三浦大輔監督の父・克之さんは、岡田さんの地元・大阪市中央区玉造で生花店を営み、岡田さんを幼少の頃から知っているそうで、

克之さんは、

岡田君のことは、小さい頃から知っていますよ。市場で生花店を営んでいて、お父さんとお母さんと岡田君の3人でよく来てくれていました。お母さんは今でもお花を買いに来てくれます。

岡田君はとても練習熱心な子でした。岡田君の家の近くに公園があるのですが、そこで近所のおじさんから指導を受けていたみたいです。練習内容は毎日700スイング。

実際に見たことはないですが、毎日欠かさず続けていたと聞きました。その練習の成果もあってか、岡田君が所属していた少年野球チームは大所帯だったにもかかわらず、抜群の実力を誇っていたそうです。

岡田君の努力を知り、長男・大輔の野球の指導でも毎日続けることの大切さを説きました。うちの大輔は毎日300スイングがノルマ。自宅の裏庭にトスマシンを置き、軟球を100球買い物かごに入れて、それを3箱打たせました。「毎日やらなあかんで」と口酸っぱく言っていました。

と、語っています。

「岡田彰布は高1で大阪大会決勝で本塁打し甲子園出場に大きく貢献していた!」に続く

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