ヤクルト監督時代、日本一になった時点で、監督を辞任しようと決めていたという、広岡達朗(ひろおか たつろう)さんは、球団側から引き留められると、留任交渉の席では、終始、主導権を握り、「勝つための野球」に取り組む姿勢を見せるよう球団側に迫ったそうで、球団側がこれを受け入れたことにより、留任を承諾したそうですが・・・

「広岡達朗はヤクルトを日本一に導いた時点で監督辞任を決意していた!」からの続き

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監督留任交渉の席では主導権を握っていた

監督留任交渉の席では、球団側からは、平尾菅雄本社副社長、佐藤邦雄球団社長、相馬和夫球団代表が出席したそうですが、話し合いは、終始、広岡さんが主導権を握ったそうで、

広岡さんは、

優勝を争えるチームに仕上げてくれという要請に対しては仕事をやり遂げたと思っている。だから引き続き、それ以上の〝常時優勝できるチームを作ってくれ〟と言われても、今のメンバーで、今の球団の姿勢では先行きはつらい。やる以上は責任があるし、無責任なことはできない

と、言ったそうです。

(広岡さんは、ヤクルトを初のリーグ優勝&日本一に導いたものの、チーム内には、広岡さんの厳しい管理野球にまだ不満を持つ選手がおり、その選手を抱き込む球団フロントもいたほか、本社上層部は、「ヤクルト商品が売れなくなるから、あまり巨人には勝つな」という姿勢だったそうです)

記者会見では勝ち誇った表情を見せていた

また、広岡さんは、話し合いの中で、

オレを引き留めたいなら、勝つための野球に取り組む姿勢をみせろ

オレの野球に従え

と、球団に迫ったそうですが、

4時間もの話し合いが終わると、記者会見で広岡さんは、勝ち誇った表情で、

まだやらせてもらいますとは言っていない。しかし、平尾副社長まで来られたし、本腰を入れてファンの期待に応えようという姿勢がフロントに出てきた以上、それでも辞めると言ったら失礼でしょう

と、言ったそうで、

記者から、

家族の方は「しばらくゆっくりしてほしい」と言われていますが

と、問われると、

広岡さんは、

男はやりたくなくても、やらなきゃいかんことがあるもんです

と、答えたのだそうです。

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ヤクルトの監督に留任するも禍根を残していた

こうして、広岡さんは、現場のことは全面的に任され、球団は協力するという条件で、ヤクルトと新たに3年契約を結んだそうですが、

記者会見での発言が球団フロント陣の怒りを買ったそうで、フロント陣の「やりたくない仕事だと?なら、やってもらわなくて結構だ!」と、言いたくても言えない怒りが禍根として残ったのだそうです。

(ちなみに、当初、広岡さんが監督になると報道されていた阪神タイガースの小津球団社長は、広岡さんの招聘(しょうへい)を諦め、外国人監督招聘のために渡米することを発表したそうです)

「広岡達朗はヤクルト監督を優勝した翌年の途中で辞めていた!」に続く

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